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 玄関で四人が向かい合っていた。
 咲耶と千影は上がり框に並んで立ち、外履きに替えた衛と花穂はその対面で寄り添っている。
 千影が一同を見回し、軽く咳払いをした。
「こんなことをするまでもないと思うが、クレームが付いたので多数決でハッキリさせておきたい」
「前振りはいいからさっさと始めなさいよ」
 野次る咲耶を横目で見て、千影は残る妹たちに向き直る。
「では、タクシーがいいと思う人は挙手」
 両方共に反応なし。沈黙が一同の間に重く漂う。
「次。自転車がいいと思う人」
 今度は二人とも反応を見せる。衛は勢いよく、花穂は衛の顔を見てからそれに続いた。千影が満足そうに頷く。
「よし、これで決まりだな。いってらっしゃい」
「ちょっと待ちなさいよ」
 小さく振られる千影の手を思い切り叩き落す咲耶。それを合図に二人の視線が激しくぶつかり合う。最早、遅刻云々はただの口実になっていた。
「姉やなんだから初等部の校則ぐらい把握してるわよね? 自転車通学は禁止って」
「かと言って遅刻していいという決まりはない」
「当たり前でしょ。だからタクシー拾って行けばって言ってるじゃない」
 咲耶は自分の腕時計を指差した。
 時刻は八時を十五分ほど過ぎたあたり。花穂はすぐに息を吹き返し、奇跡的に怪我人は出なかったが、一連の騒ぎで費やした時間は戻って来ない。普通の手段では遅刻が確定していた。
 そこで『普通ではない手段』を考えることになったのだが、咲耶の『タクシーを呼んで乗り合わせる』という案に千影が『自転車に二人乗りする』と対案を出し、それで争いになったのだ。
「常識的に考えなさいよ。タクシーと自転車と、どっちが早いと思ってるの?」
「では訊くが、呼び出してからここへ到着するまでにどれだけのタイムラグが生じると?」
「千影がいちゃもん付けなきゃとっくの昔に来てるわ」
「しかし、この時間帯は通勤ラッシュの真っ最中だ。あまり賢明とは言えないね」
「だけど、自転車で行っても学校に止められないじゃない。見つかったらどう言い訳するつもり?」
「近くの市民公園に駐輪場がある。鈴凛くんが実際に経験してリサーチ済みだ」
 咲耶は腕を組み、やれやれとかぶりを振った。
「実際にって、ホント呆れた子ね……」
「この際、背に腹は変えられない。黒だろうと白だろうと、鼠を獲る猫はいい猫だ」
 千影も腕組みをし、軽く胸を反らせた。
「それに、見つかった時のリスクはタクシーの方が遥かに高い」
「何言ってるのよ。別に校則違反でもないんだからいくらでも言い訳できるじゃない」
「だが、言い訳の効かない相手がいるとしたら?」
 急に千影の声色が落ちた。ただでさえ低い声がさらに低くなり、ひどく聞き取りにくい。
「彼らに目撃されるぐらいなら、遅刻の方がよほどマシというものさ」
「わけわかんない。彼らって誰のこと? もったいぶらないで教えなさいって」
「そうか。きみがわからないのも無理はないか」
 残念そうに小さく肩を竦めた千影は、咲耶を真っ向から見据える。
「花穂くんや衛くんぐらいの、初等部ぐらいの年齢でマイノリティーに属するということは、健全な学校生活を送る際に致命傷になりかねない」
「仲間外れにされるって意味?」
 千影は「ああ」と頷いた。
「第一、格好が悪いじゃないか。黒塗りの高級車で送り迎えならともかく、あんなのでは物笑いの種になるばかりだ」
「だけど、今はそういうこと言ってる場合じゃないでしょ?」
「かといって、恥ずかしい思いや辛い思いを強要させるわけにはいかないな」
「遅刻の方がよっぽど恥ずかしいわよ」
「程度の問題ではない。避けられるものを避けて何が悪いというんだ」
「ああ、そう」
 咲耶はフンと鼻を鳴らし、腕組みしながら軽く胸を反らせた。
「面倒なことは人に押し付けて知らん振りする。それが千影の出した答えってわけね」
 千影と同じポーズだが、彼女とは違って出るところがしっかり出ている。果たして千影はしかめっ面で顔を背けた。
「な、何を勘違いしているんだきみは」
 あからさまに動揺する千影だが、それでも有耶無耶に終わらせるつもりはないらしい。体勢を立て直すべく咳払いを繰り返した。
「それでは訊くが、雛子くんが同じような立場に立たされた場合、きみはどうするつもりなんだ? 辛い思いをするとわかっていても、それでもきみは雛子くんを千尋の谷に突き落とすというのか?」
「ヒナちゃんはしし座なんだから、それぐらい何てことないわよ」
「いや、私が言いたいのはそういう意味ではなくて――」
「大体、千影は過保護すぎ。あんたがそんなだから今朝だって――」
「あの……ボクたち、そろそろ行っていい?」
 遠慮がちな声が二人の口論を止める。同時に向き直ると、衛が後ろ手に花穂をかばいながら一歩後ずさった。
「えっと、咲耶ちゃんの言う通り、タクシーの方が確かに早いかもしれないけど、でも、今からだと逆に間に合わないかもしれないし、その、大通りに出て捕まえるとかあるけど、ボクたち小学生が手を上げてもちゃんと止まってくれるかどうかわからないし、だからやっぱり」
 しどろもどろで弱腰もいいところだが、それでも衛の意思は固いようだ。咲耶は衛たちが千影寄りの位置に立っているのを見て、どっとため息をついた。
「――いいわ、気をつけて上手にやりなさい。くれぐれも事故らないようにね」
「うん、わかったよ。ありがとう、咲耶ちゃん」
 衛はパッと顔を輝かせ、花穂の手を取って駆け出そうとする。そんな二人を千影が呼び止めた。
「大事なことを忘れていたよ」
 千影は制服のポケットに手を突っ込み、中から小さなノートを取り出した。
「やっと見つけたよ、花穂くん。宿題の観察日記」
 すると、花穂がひったくるような勢いで取り戻し、自分の胸に抱き締めた。
「よかったぁ。花穂、このまま学校に行かなきゃって思ったらすごく怖くなって……」
 感極まってぐずり始める花穂に、衛がハンカチを差し出す。
「花穂ちゃん、よかったね。ボクたちだけだったらきっと見つからなかったかも」
「う゛ん。あ゛りがどう、千影ぢゃん」
「別に構わないが、それより、どうして衛くんの布団の中に隠れていたのかが気になって――」
「はいはい、そんなことより急いで急いで」
 咲耶の声に追い立てられ、衛と花穂は手に手を取り合いながら玄関を出て行った。
「本当にまあ、仲良しでお似合いな二人だこと」
「だが、これから先が大変だな。特に花穂くんは」
「またそんな思わせぶりなこと言って」
 咲耶は腰に両手を当てて千影へ向き直った。
「花穂くんは衛くんに依存しすぎるきらいがある。今まではそれでもよかったが、四月からは衛くんが中等部に上がってしまう。後は言わずともわかるだろう?」
「そりゃわかるけど、でも、初等部と中等部は渡り廊下で繋がってるじゃない。まあ、花穂ちゃんの性格ならナーバスになっても仕方ないと思うけど」
「認識が甘いな」
 千影はうなじの後れ毛を忙しなく弄りながら答える。その仕草で咲耶は、千影が既に髪を結い上げていることに気付いた。ネクタイこそ緩めてはいるが、すっかり身支度を整えていつでも登校できる格好だ。
「下級生のエリアへ行くのも気後れするような花穂くんが、自ら中等部の校舎に足を踏み入れると思うかい?」
「でも、今までは何ともなかったでしょ」
「ああ。教室が隣合っているらしいからね」
「ふぅん、そんなによく知ってるわね」
 何気なく言ったつもりだが、千影はいかにも怪訝そうな表情で咲耶を見返した。
「私には亞里亞くんが話してくれているが、きみは違うのか?」
「えっ?」
「雛子くんや衛くんや花穂くんのこと。私が耳を塞いでいても亞里亞くんは聞かせてくれるよ。自分の身の回りだけじゃない。クラスや学校全体のことまで何もかも」
 なぜかわからないが、その落ち着いた喋り方が妙に咲耶の気に障った。
「私だって毎日毎晩ヒナちゃんと話してる」
「では、先週金曜の『花穂くんのお弁当忘れ物事件』は知っているね?」
「それならヒナちゃんが教えてくれたわ。自分のを分けてあげたって言ってたけど」
 すると千影は「ふむ」と自分の鼻先を撫でた。
「私が亞里亞くんから聞いた話では、衛くんが花穂くんを伴って来たらしい。亞里亞くんと雛子くんと四人集まった上で、三人分のお弁当を四分割したと」
「……知らない。そんなの聞いてないわ」
 咲耶は憮然とした表情になって呟いた。
「衛くんはああ見えてもなかなかしっかりしているよ。さっきの自転車の件も、咲耶くんへのフォローを忘れなかったじゃないか。あの年齢でそうできるものではない。頼り甲斐があるだけに、花穂くんが不安になるのもわかるよ」
「じゃあ、どうしてヒナちゃんがそんなウソついたのよ」
 動揺のあまり声が裏返ってしまう。千影がわずかに眉を顰めた。
「事実には違いないと思うが。ただ、描写にいくつかの漏れが見られるだけで」
「二人と四人じゃ全然違うわ」
 吐き捨てるように言いながら、咲耶はその晩の雛子を思い出していた。生乾きの髪にドライヤーを掛けてあげている最中、雛子は何度も振り返って得意げな笑みを見せたのだ。――ヒナがね、花穂ちゃんを助けてあげたの。
「早く認められたいんだよ。雛子くんは」
 再び腕組みをしながら千影が言う。
「咲耶くんという、身近で偉大な存在に早く近付きたいのさ」
「過保護な姉やになんか言われたくないわ。そんな他人事みたいに」
 反論する咲耶の脳裏に今朝の光景が蘇る。亞里亞の世話をする雛子。あれを見ていたら、とてもそんなことは言えないはずだ。
「それに、ヒナちゃんぐらいの年齢なら普通よ。私だってあの子の年齢ぐらいの時は背伸びしてた。むしろ、亞里亞ちゃんがのんびりしすぎね。誰のせいとは言わないけど」
「亞里亞くんはゆっくり大人になる子だよ。急かしすぎてせっかくの長所を潰したくはない」
 咲耶は瞬間的に激昂していた。
「長所? 長所って何よ? 姉を顎でこき使うのが長所なの? 短所の間違いでしょ?」
 噛みつかんばかりの勢いで千影に食って掛かる。
「あんたが二階でもたもたしてたせいでヒナちゃんが亞里亞ちゃんの髪を編む羽目になったのよ? おかげで雛子ちゃんも亞里亞ちゃんも、二人とも遅刻しそうになったんだから。この落とし前、どうつけてくれるつもりなのよ」
 しかし、千影は一歩も退く気配を見せない。
「それは言い掛かりだ。私は亞里亞くんの姉やだが、決して世話係ではない。それに、私の方でも亞里亞くんを探していたんだ」
「そんな言い訳が通用すると思う? ホント白々しいわね。亞里亞ちゃんが千影にべったりなのは学校でも有名なんだから」
「だが、過程はどうあれ、結果として雛子くんの自尊心が保たれたわけだろう?」
「結果としてはね。でも、亞里亞ちゃんがあんな性格してるからヒナちゃんが余計にアピールしなきゃいけないの」
「しかし、仮に亞里亞くんが年上ぶった態度を取ったとしても、それで全てが丸く納まると思うかい? むしろ逆だな。雛子くんのフラストレーションは溜まる一方になる」
「話をすり替えないでよ」
「それはきみの方だ。どうして雛子くんの成長を肯定的に受け止められないんだ」
「黙りなさいっ!」
 咲耶はとっさに叫んでいた。怒声を浴びせられたにも関わらず、千影は割にさばけた表情で口をつぐむ。
 千影の指摘は図星だった。悟られないために怒鳴ったつもりが、逆に教えてしまったようなものだ。思わずかぶりを振る咲耶を、沈黙を保ったままの千影がじっと見つめている。
「――わかった。そんなにごちゃごちゃ言うなら自分でやってみなさいよ」
「何を?」
「視力いくつ? 私を見て何も思わないの?」
 咲耶はこれ見よがしに自分の後ろ髪を掻き上げた。
「髪だな。指の引っ掛かり具合でバサついているのがわかる」
「そう。あんたが亞里亞ちゃんをほったらかしにしたせいでこんなになってるの。全然時間ないから」
「生乾きのままで寝ているからじゃないのか」
「正直それもある。でも、それ以上に悪いのは――」
「私か?」
 咲耶は大げさな振りで何度も頷いた。
「よーくわかってるじゃない。そういうわけで、妹が姉の髪の面倒を見るのよ。いいわね? 一度やってみてそれでもまだ同じことが言えたら、あんたの言い分を認めてあげないこともないわ」
「何だかよくわからないが、私がきみの髪を整えてあげればそれでいいんだな?」
「そういうこと」
 ちょっとした思い付きにしてはなかなかいいアイディアだ。咲耶は内心で自画自賛した。
 千影が引き受ける引き受けないは別にしても、これで少しは自分の行いを反省してくれるだろう。もちろん本当にやってくれれば言うことはないのだが、千影に限ってそんなことはあり得ない。今までずっと、何かにつけては反目しあってきた仲なのだ。それに元はと言えば朝寝坊が原因。十中八九は首を横に振る。そう思っていた。
 ところが千影は、咲耶の予想をあっさりと裏切ってみせた。
「わかった。きみが是非にでもと言うならやってやらないこともない」
「何か微妙にムカつく言い方ね」
「それはお互い様じゃないか」
「はいはい、お互い様お互い様」
 咲耶は肩を竦めながら忙しく頭を回転させる。人一倍気位の高い千影が一体どういう風の吹き回しなのだろう。何かを企んでいるのか、それとも純粋に親切心からか。どちらにしても、策士が策に溺れることのないようにしなくては。
「何をぼんやりしている。血糖値不足かい?」
 顔を上げると、千影は既に歩き出していた。
「それはもう誰かさんのおかげでね。食事をする暇もありません」
「なら、ダイニングで待っていてくれ」
「ダイニング?」
 眉を顰めて聞き返すと、千影はふっと表情を緩めた。
「誰かにやってもらうのに鏡は必要ないさ。それより、先に何か食べておくといい。空腹時はとかくヒステリックになりやすいからね」
「余計なお世話よ」
「そうか、それは悪かったな」
 そう言い残し、千影は足早に去って行った。
 急に静かになった廊下へ柱時計の鐘がうつろに響く。八時半を告げる音だ。学校のことなど、最早どうでもよくなっていた。





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