ぽたぽた−1
 そのホテルは街の中心地よりほど近く、細い路地と山の端で守られるようにひっそりと建っていた。
 いや、正確には元ホテルと言うべきだろうか。二十年ほど前にホテルの女主人が姿を消してからは、住む人も無く放置されていたのだ。さらに細かいことを言えば、この館は本来ホテルとして建てられたものではなく、日露戦争で財を築いた成上り者が愛妾のために建てた別邸だという。この妾とホテルの女主人にどのような繋がりがあったのか。なにしろ一世紀近く前の話だけに事実を知る人もいないのだが、その謎は今ここに住み暮らす十三人――一人の青年とその青年の妹たち――の内の一人、“自称”名探偵の少女によって解き明かされる日が来るのかもしれない。


 二ヶ月ほど前に行われた兄妹会議の席上で、十二姉妹中で最年長の咲耶は最も強硬にここへ住まうことを主張した人間だ。いかにも現代っ子な風体の彼女が「先人の知恵に学ぶ」だの「情操教育にいい」だのと口に泡を飛ばしてまくし立てる様は露骨に怪しかったのだが、物珍しさも手伝ってか咲耶も驚くほどにすんなりと決まってしまった。ちなみに咲耶がこだわった理由は実に単純で、ちょうどその時、アンティークのアクセサリーに興味津々だったからだ。
 その後、とあるアンティークショップで互いにライバル視している千影――十二姉妹中、上から二番目に位置する――と鉢合わせて以来、骨董への熱もすっかり冷めてしまった咲耶だったが、ここでの暮らしへ慣れるにつれて、自分の主張が間違ってなかったことを感じつつあった。
 なにしろ部屋に鍵が掛けられるのだ。十三人も同居するのだからプライバシーが侵害されても仕方がないと諦めていただけに、これは嬉しかった。かつてホテルとして使われていただけに防音なども完璧だし、古いが故に気になる箇所――トイレや浴室などの水廻り関係――は、入居に際して全て新品へと取り換えられ、今のところは快適そのものだ。特に台所は料理好きな白雪の意向が大きく反映され、高級レストランでも開けそうなまでに設備が充実している。真鍮のドアノブも白磁のライトシェードもきれいに磨き上げられ、二十年近く放置されていたとは思えない美しさだった。そう、ほんの数時間前までは。
「やっぱり、狭くても新しいほうがよかったのかなぁ」
 うっすらと積もった漆喰の欠片を踏まないように廊下を睨みつけ、爪先立ちでそろそろと歩きながら咲耶はつぶやいた。同居に際しての会議で自分の声が最も大きかったという事実は、本人の中では無かったことになっているらしい。
「ちょっとした地震でこれなんだから、大きいのが来たら一家心中ものね」
 ふと顔を上げると、目的地のボイラー室は遥かに彼方だった。
「お兄様と二人っきりだったらそれもありだと思うけど」
 無駄な抵抗を止めると十秒も掛からなかった。そのままノックもなしに、鋼鉄製のドアを開けた。重く湿りのある空気の中に、少女の体臭が微かに混じっている。錆の浮いた機械と機械の間から人影がちらりと見えた。
「ねえ、鈴凛ちゃん。ちょっといいかしら?」
 咲耶が、やや遠慮がちに背中へ声を掛けた。デニムのつなぎ姿とはいえ、剥き出しのコンクリへ直にあぐら座りでは九月半ばといえど体が冷えてしまいそうなものだが、ショートカットの少女は寒さを気にする様子もない。
「なぁーに? 今、手が離せないから後にしてほしいんだけど」
 無愛想に言い放ち、右手のドライバーを肩越しに振って見せた。今、鈴凛の前には彼女そっくりの人形、メカ鈴凛が椅子に座らされている。
「そんなこと言わないで、ね? 神童とうたわれた鈴凛ちゃんの知識をすこーしお借りしたいだけ」
 咲耶は手を合わせ、拝む格好をする。
「ね? お願い、この通りよ。一生のお願い」
「んもう、大袈裟なんだから」
 ようやく手を止め、振り返る。
「で、何? 聞きたい事って」
「ジャンケンに絶対勝つ方法」
 それを聞いた鈴凛は半ば呆けた表情で咲耶を見つめていたが、やがて小さく肩をすくめてみせると再び機械いじりに没頭し始めた。
「ちょっ、ちょっと。私、本気で聞いてるのよ」
「日頃のおこないが良ければ、カミサマがきっと勝たせてくれるって」
「そうじゃなくて、何かこう、科学的にビシッと勝つ方法とかってあるでしょ? 先週ネイルサロンに行ったばかりだから今回はどうしても負けられないのよ」
 そんな咲耶の懇願にも心動かされた様子などなく、鈴凛は黙々と手を動かす。
「あー、もう。わかったわよ。わかりました。鈴凛ちゃんからロハで教えてもらおうとした私がバカだったのね」
 と、咲耶は首を横に振りながら言った。
 鈴凛は「んー」と返事なのかうなり声なのか判別し難い声を出すと、自分そっくりの人形を軽く小突いた。
 シリコンの皮膚をまとった鋼鉄の体が小さく二回痙攣し、メカ鈴凛が目を開ける。目覚めたばかりで状況の読めていないメカ鈴凛は、微かな駆動音を立てて二人を交互にながめていたが、自分の主人の姉“咲耶サマ”の手に財布が握られているのを見ると、関節部の軋みとともに上体を起こした。そして、静かにこうべを垂れ、咲耶へうやうやしく両手を差し伸べる。
「まったく、大した守銭奴ぶりだこと」
 咲耶は渋々といった面持ちで硬貨を一枚、メカ鈴凛の手の平に落とす。少し間を置いてから、主よりやや低い声でメカ鈴凛が口を開いた。
「マスター、100円入りました。オシャレには湯水のごとく小遣いを注ぎ込む咲耶サマですが、それ以外の事項にはマスターに匹敵するほどのシブチンぶりで――」
「はいはい、もう黙ってて。いい加減にしておかないと叩き壊されちゃうからさ」
 立場上不利な咲耶はメカ鈴凛の暴言に反撃することもかなわず、ただ腕組みをしたままだ。
「で、本題なんだけど」
「気合」
「は?」
「だから、気合よ。き・あ・い」
レンチをタクトのように振って、アクセントを殊更に強調する。
「ちょっとぉ、何よそれ」
 こんなの詐欺よ、と続けようとした咲耶の眼前へ、メカ鈴凛が両手を突き出した。半ば機械離れした間の読み方に、やや呆れた表情でメカ鈴凛を見つめた。すると、彼女は何を勘違いしたものやら頬を真っ赤に染め、頬に手を添える。
「ねえ、メカ鈴凛ちゃんってまだ未完成だったりする?」
「んー、正直アタシって、ハードに比べるとソフトがどうも苦手で。努力はしてるんだけど、これがなかなか」
 手を止めて咲耶を振り返り、今度は鈴凛が手を合わせて拝んだ。
「で、つきましては弱点克服のためにさらなる援助を」
 鈴凛がそう言い終わるか終わらないか、絶妙なタイミングでメカ鈴凛の手が再び伸ばされた。
「あー、前言撤回。もう完成してるわね、メカ鈴凛ちゃん」
 手をひらひらと振りながら咲耶は答えた。仕草は人間臭く、創造主の鈴凛ちゃんとは阿吽の呼吸。今のままでも十分スゴイ――恐らくは世界初の完全自律二足歩行型ロボット!――のに、これ以上進化したらお兄様は一体どう思うのかしら? 何か取り柄のある女の子の方が好きになるわよね、きっと……。
「そうかなぁ? アタシとしてはまだまだ発展途上のつもり。AI関係はしばらくうっちゃっておくとして、もっと色々な機能を追加しようかなーって」
 咲耶の胸の内に気付く様子もなく、鈴凛がグリスの付いた手をつなぎで拭った。
「新機能って、例えばどんな? お兄様探知センサーとか?」
「それはもう搭載済みだから、んー、例えば“1km先で落ちた500円玉の音を聞く事ができる耳”とか」
「なんか貧乏臭いわね。もうちょっとマシなの考えてみたら?」
「できればそんなモノを付けたくはないけど、ね。まあ、何をするにもいろいろと先立つものが必要なわけですよ」と、ソロバンを弾くフリをしながら鈴凛。
「結局そこへ行っちゃうのね。ホント、話に聞く通りだわ」
 咲耶はぶつぶつとつぶやきながら、小銭入れの中身をメカ鈴凛の手にぶち撒けた。勘定しよう引き寄せるとするメカ鈴凛の手を止め、500円玉だけをつまみあげる。
「プログラムも気合でどうにかなるんじゃないかしら?」
「アタシもそう思って頑張ってはいるんだけど、これがどうしてなかなかうまくいかないのよ」
「お話中すみませんがマスター、483円入りました。一般的なネイルサロンの相場から換算すると、計583円はネイルアートの損耗を防ぐ保険料として比較的妥当な金額ではないかと思われます」
「へぇ、よく知ってるじゃない」
 咲耶が財布を仕舞いながらメカ鈴凛を誉めた。再び彼女の顔が赤くなり、手のひらに小銭を乗せたままで頬に手を当てた。
「さっき“気合”って言ったけど、あれ、ホントのことだからね」こぼれ落ちた硬貨を拾い集めながら鈴凛が言った。「人間の心の動きは無意識に体へと反映される。だから、大きな声と振りで相手を萎縮させてしまえばあら不思議。驚いて縮こまった相手は思わずグーを出しちゃうから、そこでパーを出せば万事OK。だから、気合十分で存分にどうぞーって感じ」
「そっか、千影と口論する要領でいいのね。うん、ありがと、鈴凛ちゃん」
 そう言うと、咲耶は上機嫌で部屋を駆け出ていった。
「あー、でもね、それはあくまで普通の人の場合であって、いわゆる変わり者はチョキを出す傾向があるの。だから――」
 誰も居ない空間へ言葉を投げ掛ける主に、メカ鈴凛はおずおずとした口調で現況を報告した。
「マスター、あの、咲耶サマはもうイってしまわれましたが」
「あー、そう? まったく、調子いいんだよね。咲耶ちゃんって」
 軽く鼻を鳴らしながら、スパナで自分の肩を叩く。
「あと、変なアクセント覚えないでよね、メカりん。あ、それと…」
「なんでしょうか、マスター」
 メカ鈴凛は小銭が落ちぬように、顔からそっと手を剥がしながら答えた。
「いつの間にそんなの覚えたの? ファッションとか、そういうのは学習の優先順位を低くしたと思うけど」
「先日、マスターが新聞の折り込み広告を3分20秒近く観察してるのを目撃しました。それでマスターが興味があるのではないかと考え、広告をスキャンをした次第です」
 よどみなく、メカ鈴凛が答えた。
 鈴凛は、機械油にまみれた自分の手を何とはなしに見つめていたが、
「ネイルアートマシンでも作ったらお金儲けができるんじゃないかな、って」
「そう、ですか。さすがはマスターです。では、あの広告のデータは消去しても?」
「……そうね」
 睫毛を伏せて、吐き捨てるように小さく言った。

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