真夜中におさんぽ 読み物TOP

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 裏山へ続く道は、崖に沿ってゆるやかな坂になっています。涼しい風が崖の下からふわっと駆け上がってきて、マント代わりのシーツをちょっとだけそよがせました。
 玄関を出て十分ぐらいたっているでしょうか。ちらっと振り返ると、お家は暗がりの向こうに消えていました。
 街灯はほとんど立っていなくて、お月さまだけが照らす夜道を二人は手をつないで歩いています。
 本当はすぐにでもお庭へ行きたかったのですが、亞里亞ちゃんはそれをなかなか言い出せずにいました。亞里亞の見間違いだったらどうしようと、ウサギさんがいなかったらどうしようと、それが少し怖かったのです。
 やさしい姉やのことですから、もし亞里亞ちゃんの勘違いだったとしてもじいやのように怒ったりしないはずです。でも、本当のことを言わないまま、ウソをついたままおさんぽしているのに、もうひとつウソをつくことになってしまったら――考えただけで、胸がぎゅうっと苦しくなってしまいます。
 亞里亞ちゃんはだまって歩きます。
 姉やもだまって歩きます。
 二人とも何も言わないまま、静かに歩きます。
 でも、静かなのは亞里亞ちゃんと姉やだけです。二人を取り囲む暗がりからはいろいろな音が聞こえてきます。
 例えば、道ばたの草の中では虫が合唱の練習をしています。これから涼しくなってくるとみんなバカンスから帰ってきて、次の満月のころには立派なオーケストラを奏でてくれるはずです。でも、今はまだまだ小さな音なので、それよりも二人がサンダルで歩く音のほうがよく聞こえるのです。いつもならぜんぜん気にならないのに、夜になると急にいろいろな音が聞こえてくるのはどうしてでしょうか。
 そんなことを考えているうちにも、ずっとずっと遠くのほうから電車の走る音がかすかにひびいてきます。学校へ行くのにいつも使っているトラムではなく、もっと遠くへ行くとき用の電車の音です。
「あれは夜行列車だね」
 亞里亞ちゃんの見ている方向に気づいて、姉やがそう説明します。
「この時間だと、北へ向かう列車のはずだ」
「ヤコウって?」
「夜に走る列車のことだよ」
 姉やは亞里亞ちゃんに向きなおったのに、ついウサギさんの顔を見てしまいます。どっちを見ていいのか迷ってしまうようです。姉やは少し恥ずかしそうに笑っています。
「夜の間に走って、次の日の朝や昼に到着するんだ」
「オリエント・エクスプレスみたいね」
 亞里亞ちゃんは楽しそうに言いました。
「何日も何日も、線路がなくなるまでずっと走り続けるの。中にはレストランとかあって、一番後ろには展望室があって、それから、えっとね……」
「乗ったことがあるのかい?」
「バカンスで、地中海のほうへ行ったときに一回だけ。でも、ほんの少ししか乗れなかったの。ベッドでお昼寝してたら、その間に降りる駅に着いていたから」
「なるほど。亞里亞くんらしいね」
「姉やは、乗ったことがあるの?」
「ああ。私も一度だけだよ」
「姉やもバカンス? ニースとモナコ、どっちが好き?」
 すると、姉やはちょっと困った顔になりました。
「さすがにそこまで遠くへ行ったことはないな。もっと近くだよ。それも、普通の座席でね」
「ヤコウ列車って、ベッドがないの?」
「ある。あるにはあるんだが……」
 そこで言葉を切った姉やは、あごの先を人差し指でぽりぽりとかきました。何だかとても困っているみたいです。
 なかなかその続きを言ってくれないので、亞里亞ちゃんが先に口を開きました。
「亞里亞ならぜったいにベッドがいいな。だって、レールがことんことんっていうと、それに合わせてベッドがふわっふわってゆれるのよ」
「できるものなら私もそうしたかったね」
 姉やはなぜかため息をつきました。
「だったら、どうして?」
「それはお金が……要するに、チケットが取れなかったんだ」
 そして、あわててこう付けくわえました。「みんな、ベッドの方がいいに決まっているからね」
 姉やの様子がちょっと変なのが気になりましたが、亞里亞ちゃんはとりあえず小さくうなずいてお返事しました。確かに、ベッドと普通の座席とならベッドのほうがいいに決まっています。亞里亞も帰りのトラムで居眠りしたことがありますが、止まったり動いたりを何回もくり返すのであまりよく寝られません。でも、そのおかげで降りる場所を通り過ぎずにすむのですが。
「じゃあ、姉やは鈴凛ちゃんみたいにして寝たのね」
「鈴凛くんみたい……ああ、そうか。うん、そういう感じかな」
 鈴凛ちゃんはいつも夜遅くまで起きているので朝は大変です。今朝なんかはトーストをくわえたままでこっくりこっくりと居眠りしていたのです。
「でも、銀河鉄道も同じだ」
 そして、夜空を見上げてから姉やは言いました。「ベッドなどではなく、普通の列車で彼らは旅をするんだ」
 亞里亞ちゃんは、ぬいぐるみの足をつかんで落ちないようにしてから姉やの真似をします。
 雲ひとつないお空はまるで黒いベルベットのようです。かがやくお星さまはガラスのビーズ玉。横切る天の川は銀糸の刺繍。
 でも、まんなかを照らす満月と端のほうを照らす街の明かりのせいで、お空はなんとなくぼんやりして見えます。フランスで見上げた夜空にはもっともっと星がかがやいていたのです。それこそ、お空が全部シャンデリアになったぐらいに。
「やはり、明るすぎるな……」
 姉やがため息まじりに言って、低くなった街のほうをぐるりとながめます。
「観察しようと思えば、もっと遠くへ行かなければね」
 このあたりは高い建物がなくて、ほとんどがふつうに人の住んでいる家ばかりです。屋根の黒い瓦のひとつひとつをお月さまが照らし、歩きながらながめているとまるで夕焼けどきの海のように、きらきらと光って見えます。きしゃはやみをぬけてひかりのうみへ――そんな言葉が、亞里亞ちゃんの頭の中にふっとよみがえりました。
「……テツローとメーテルに会いにいくのね?」
 ひとりごとのような亞里亞ちゃんの質問に、姉やはびっくりした顔で向き直りました。亞里亞ちゃんもびっくりして、思わずうつむいてしまいます。
「だって、ギンガテツドウって姉やが……」
「いや、確かにそうだが、まさかそっちの銀河鉄道とは思わなくてね」
「違うの……?」
「いいや、違わないよ」
 姉やは、今度はちゃんと亞里亞ちゃんの頭をなでました。「銀河鉄道にはもう一つあるんだ。鉄郎とメーテルの物語の他に」
「姉やが言っていたのは、そのもうひとつのほうなのね」
 なでてくれる手がゆっくりになります。
「よくわかったね」
 亞里亞ちゃんは答えるかわりにくすくすと笑いました。姉やが頭をなでるときは決まってそうなのです。
「ジョバンニとカンパネルラの物語。昔、何度も繰り返し読んだよ」
「どんなお話なの?」
「少し悲しいお話だよ」
 亞里亞ちゃんの頭から手をはなし、姉やはまた夜空を見上げました。姉やの目は、何かを追い掛けるかのように動いています。きっと、ジョバンニとカンパネルラの乗った列車なのでしょう。
「……姉やも、いっしょに乗りたかったの?」
「えっ?」
「ギンガテツドウ。ジョバンニとカンパネルラといっしょに」
 すると姉やは、見上げたままで「ああ」と小さくつぶやいてそれっきりだまってしまいました。何か考えごとをしているようです。姉やの邪魔をしないように、亞里亞ちゃんはうつむきがちにだまって歩きます。アスファルトはお空と同じぐらいに真っ黒で、どこを歩いているのかだんだんわからなくなってきました。
 そうやって歩いているうち、急に道が平らになりました。そして、アスファルトの色が少しずつ明るくなってゆきます。不思議に思って顔を上げた亞里亞ちゃんは、小さく「あっ」と悲鳴をあげました。亞里亞ちゃんたちの行く先に、何かとてもまぶしいものが待ちかまえているのです。
「あれは――」
 おでこに手を当てた姉やが目を細めて先を見つめます。「自動販売機か? まったく、どうしてこんな場所に」
 亞里亞ちゃんはぬいぐるみの手で光をさえぎり、それでようやく前を向くことができました。少し進んだところに小さな公園があって、自動販売機がまるで門番のように立っています。
「姉や、公園があるの」
 姉やは「本当だ」とつぶやいてから首をかしげました。
「しかし、こんな辺鄙な場所に誰が遊びに来るんだろうね」
 姉やが自分たちのことをすっかり忘れているので、亞里亞ちゃんはくすくすと笑いました。
「きっと、亞里亞たちのために誰かが作ってくれたのね」
「なるほど。案外そうかもしれないな」
 家を出てからずっと歩きっぱなしだったので、亞里亞ちゃんたちはここで一休みすることにしました。二人とものどがからからです。
「あっ、ニンジンのジュース」
「帰ったら寝る前に歯磨きだよ」
 自動販売機はとても不思議です。中に人がいないのに、コインさえあれば必ずジュースと取り替えっこしてくれるのです。
 『エン』という名前のコインも、缶から直接ジュースを飲むのも、日本に来てから初めて知りました。フランスにいたころはじいやに言うだけでよかったのです。ジュースのほかにもケーキやショコラ、お風呂にお着替え。
 フランスにいたときをなつかしく思うこともありますが、でも、自分で何でもやる今のほうがずっと楽しくておもしろいのです。なぜなら、じいやはときどき、ジュースのかわりにお小言を持ってくるのです。コインを渡すかわりに約束を守る自動販売機のほうが、もしかしたら亞里亞ちゃんにやさしいのかもしれません。でも、まぶしくて目が痛いので夜はじいやのほうがやさしいです。それに、亞里亞ちゃんが眠れないとき、じいやは子守唄を歌って聞かせてくれたのです。
 自動販売機は公園に背中を向けているので、中に入るとようやくまぶしくなくなりました。亞里亞ちゃんは姉やと並んでベンチに座り、姉やと反対がわのとなりにはぬいぐるみのウサギさんを座らせてあげました。
「さすがに少し疲れてしまったかな」
 ミルクティーを一気に飲んだ姉やは、はーっとため息をつきます。
 亞里亞ちゃんも真似しようと思ったのですが、ガマンをして半分だけ残しました。ニンジンの甘い匂いをかいで、ほんとうのウサギさんが今も木の上で待っていることを思い出したのです。亞里亞ちゃんがぬいぐるみの前に缶を置くのを見て、姉やがうっすらと笑うのがわかりました。姉やはまだ、亞里亞ちゃんの『ウソ』には気づいていないはずです。亞里亞ちゃんの胸がちくっと痛みました。
 姉やは空になった缶を両手でくるみながら言います。
「それにしても、ここから自動販売機を見るとまるで異界への扉だな」
 姉やの言うことはすぐにわかりました。二人は自動販売機の裏がわに座っているので、開きっぱなしにした扉からのように光が広がっているのです。
「どこでもドアだったら、すぐにお家へ帰れるのに」
 すると姉やは、「ほう」と目を丸くしました。
「そんなものまで知っているとは。今夜の亞里亞くんには驚かされてばかりだね」
 びっくりしたと言っているのに、姉やの声は何だかうれしそうです。「きみはいつからマジシャンになったのかな」
 ほめられたのがくすぐったくて、亞里亞ちゃんは身体をもじもじさせました。
「ううん、マジシャンは亞里亞だけじゃないのよ。だって、姉やも白雪ちゃんも鈴凛ちゃんも、いつもみんなをびっくりさせてくれるもの」
「そうだね。白雪くんもそうだが、鈴凛くんは特に」
 鈴凛ちゃんは、鈴凛ちゃんそっくりのメカ鈴凛ちゃんを作ってしまうぐらいの発明家です。そのうち、どこでもドアでも何でも作れるようになるのかもしれません。
「夕方に三人でおはなししてたのは、タケコプターを作るご相談?」
「タケコプターか……」
 姉やはふふっと笑ったかと思うと、いつもの真面目な顔に戻って空を見上げました。
「夕方はね、星の話をしていたんだ」
 亞里亞ちゃんは姉やの目の先を追いかけましたが、どの星もきらきらと光っていてどれを見ているのかわかりません。
「ここからでは見えない星なんだ」
 姉やが見上げたままで口を開きました。「自ら光る星はとても遠くにある。でも、その星は誰かに照らしてもらわないと光れない。光る星たちよりもずっとずっと近くにいるのに、私たちの目には見えないんだ」
「もっと暗いところに行っても、亞里亞や姉やでも見えないの?」
「人間の目で見るには望遠鏡が必要だ」
 亞里亞ちゃんはだまって首をかしげました。目で見えないというのなら、最初にどうやってその星を見つけ出したのでしょうか。
「見えないものを信じるというのは、とても難しいことなんだ」
 姉やの声はとても静かで、虫の音にも負けてしまいそうなぐらいです。亞里亞ちゃんは急に不安になって姉やを見つめます。姉やの横顔はまわりの暗さにとけこんでいて、どこかあの『睡蓮』と似ているように感じました。
「でも、そのお星さまはお空にちゃんとあるのね」
「ああ。この空のどこかで小さく光っている」
 それなら大丈夫、と亞里亞ちゃんはだまってうなずきました。姉やがそう言うのなら、見えないお星さまはただ見えないというだけでちゃんとそこにあるのでしょう。亞里亞ちゃんは姉やを信じているので、そのお星さまのことも信じられるのです。
 でも、それならあのウサギさんはどうなるのでしょう。本当に枝の上にいたとしても、亞里亞ちゃんの言葉だけで姉やは信じてくれるのでしょうか。信じてくれたとしても、本当にはいなかったとしたら――
「ところで亞里亞くんは、どこで鉄郎とメーテルの話を?」
 姉やが急に話を変えるので、亞里亞ちゃんは「えっ?」と聞き返してしまいました。
「鉄郎とメーテルの方の銀河鉄道。どうやって知ったのかな」
 どうしてそんなことを聞くのかな、と不思議に思いながら、亞里亞ちゃんは正直に答えました。
「えっとね、じいやがテレビで見せてくれたの」
「アニメを? フランスで?」
「うん。ギンガテツドウの他にもね――」
 見たことのあるタイトルをつぎつぎに言い続けると、最初は感心している風だった姉やの顔がだんだんと鈴凛ちゃんに似てきました。といってもいつもの鈴凛ちゃんではなくて、ケンカした四葉ちゃんと仲直りするときの「仕方がないなぁ」という感じの顔です。
「どう言えばいいのかわからないが」
 姉やが小さく首を振りながら言います。「じいやさんも不思議な人だね。厳しいのか甘いのか判断に苦しむ」
「でも、テレビは一日一時間までっていうきまりだったの」
「ということは、最初から見ていたわけではないんだね?」
 急に真面目な顔になって、姉やはさらに質問してきます。
「ううん、ちゃんと歌の始まるところから」
「いや、そっちではなくて物語の始まりだ。鉄郎がどうして銀河鉄道で旅をすることになったのか、その理由を」
「それは、えっと……」
 亞里亞ちゃんが思い出そうとしている間にも、姉やは亞里亞ちゃんの顔をじっと見つめてきています。真面目を通りすぎて、ちょっと怖いぐらいです。一体、何がそんなに気になるのでしょうか。
「――やっぱり、覚えてないの」
 すると、姉やの顔からパッと怖さが消えました。
「そうか。それなら別にいいんだ」
「どうして?」
 姉やは「別にいい」と言いましたが、亞里亞ちゃんはちっともよくありません。
「どうして、亞里亞が知らないほうがいいの?」
 亞里亞ちゃんは姉やの袖をぎゅっとつかみました。今このときを逃がしたら、二度と聞けないと思ったからです。
 姉やは、つかまれた上からそっと亞里亞ちゃんの手をつつみました。
「もし、亞里亞くんが知っていたとしたら――じいやさんが知っていて、その上で亞里亞くんに見せていたとしたら、私は……」
 そこで言葉を切って、姉やはまた「仕方がないなぁ」という顔をしました。「じいやさんの所へ喧嘩をしにいかなければならなくなる」
「じゃあ、テツローはどうしてギンガテツドウに乗ったの?」
 姉やがそこまでしなくてはいけないということは、きっとそれだけのことをしなくてはいけないお話なのでしょう。そして、テツローのお話の始まりが、姉やのお話の続きにつながっているのでしょう。誰だって、お話の続きは気になるのです。
 しかし、姉やはゆっくりと首を振りました。
「とても悲しいお話なんだ」
「人魚姫よりも?」
「人魚姫よりも。私たちには、特に」
「私たち……? 亞里亞と、姉や?」
 姉やは「そうだ」とも「違う」とも言いません。だまったまま、亞里亞ちゃんの目をじっと見つめるばかりです。亞里亞ちゃんも負けずに見つめ返します。ときどき雛子ちゃんたちとやっているので、にらめっこには少し自信があるのです。
 そして、先に目をそらしたのは姉やのほうでした。
「姉やの負け。だから、亞里亞に教えて?」
「もう一度やるわけにはいかないんだろうね……」
 そらせた目を元に戻してから、姉やはこう言いました。
「代わりに、姉やの話を聞きたくはないかい? 鉄郎でもジョバンニでもない、私の銀河鉄道の物語を」
「姉やも乗ったことがあるの?」
 亞里亞ちゃんはびっくりして大きな声を出してしまいました。姉やが頭をなでてくれましたが、なぜかはずかしそうに笑っています。
「だが、乗れなかったんだ」
「テツローみたいに、テイキケンがもらえなかったのね」
 そうだね、と小さくつぶやいて、姉やは夜空に顔を向けました。
「サザンクロスでも宇宙の果てでもない。銀河鉄道なら本当にあっという間の距離なのに」
 どこを見ているのか、今度はすぐにわかりました。
「でも、どうしてお月さまなの? お月さまには何があるの?」
「それはもちろん、あれさ」
 姉やが真っ直ぐにお月さまを指差します。「月には月ウサギが住んでいる。古くから、日本ではそう言い伝えられていた」
「えっ?」
 亞里亞ちゃんは急いでお月さまを見上げます。お月さまはやっぱりカスタードプディングの色。でも、よくよく見ると色の暗いところがあって、それが模様になっています。小さな頭に長いお耳。おさんぽに行く前の姉やの言葉がようやくわかりました。
「本当にウサギさんなのね」
「向こうでは違う模様に見えるらしいね」
「うん。フランスのお月さまには、カニさんがいたの」
「そうか……」
 見ているうちに首が痛くなってきて、亞里亞ちゃんはゆっくりと頭を戻しました。ちらっと横を見ると、姉やはまだお空を見上げています。姉やは痛くならないのかな、と思って見ていたら、
「でも、どこで見ても月は同じ月のはずだ」
 今にも消えてしまいそうな声で、ぽつりと言いました。
 どうお返事しようか迷っている間にも姉やのひとりごとは続きます。
「向こうで見る月もこっちで見た月も何も変わらない。月はこの空にたった一つだけだ。誰もが同じ月を見ている。だから、私は月に行きたかった。月まで行けば、地球上のどこにいても見つけられる、見つけてもらえるから」
 しばらくの間、姉やはまばたきもしないで満月を見つめていました。
 そして、亞里亞ちゃんは姉やの顔を見ていました。
 姉やの横顔はママンにそっくりで、とてもきれいです。
 亞里亞ちゃんは姉やの目元に光っているものを見つけましたが、何も言わないで、ぴったりと寄りそって、いっしょにまんまるお月さまをながめました。
 姉やが何を言っているのか、誰のことを言っているのか、そして、どうしてウサギさんが好きなのか――たぶん、きっと、亞里亞ちゃんの考えた通りなのでしょう。
 亞里亞ちゃんは、急にあのウサギさんのことが心配になりました。高いところが見たかったのではなく、もしかしたら、お月さまに行こうとしていたのかもしれません。月のウサギさんとお友達になるためなのか、それとも、姉やのようにとても大切な誰かを――ママンをさがすためなのか、それはわかりません。でも、あのままにしておけないのは確かです。
 ベンチの上にひざで立って、亞里亞ちゃんは姉やの耳に顔を近づけました。
「姉や、あのね――」





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