2 - Primogeniture - 1
ガードレール下の谷川から吹き上げた風が千影の身を竦ませた。
千影は身震いしながらコートの襟を合わせ、赤い手編みのマフラーに頬を埋めた。目の粗さがマフラーの表面をざらざらとさせているが、千影は全く意に介さない。それどころか、いとおしげに頬をすり寄せる。
もうじき妹の顔が見られるのかと思うと胸が弾む。足取りも同じぐらいに軽くなればいいのだが、さすがにそこまではいかない。大学通いで歩き慣れしたつもりでも、平坦なキャンパスと上下左右にうねる道とではまるで違う。
もうじき三月になるとはいっても、遮るものもない山間の道では寒さもひとしおだ。おまけに、どれだけ厚着をしたところで下から潜り込んでくる風にコートの類は無力すぎる。歩き通しで十分に暖まったはずの体も、末端からどんどん冷えていく。熱いのは胸元だけだ。革手袋をはめた指先もすでに感覚がなく、一泊分の荷物を詰め込んだトランクがその負担をいや増してゆく。
千影は休憩がてらにガードレールへ腰掛け、かじかむ指をコートの内側へ入れた。内ポケットから携帯を抜き出したそのとき、コートの金具にストラップが引っ掛かる。解こうとするも、寒さで強張った指先は思うように動かない。苛立つ千影は力任せに携帯を引いた。
と、先端にぶら下がったウサギのマスコットがアスファルトに転げ落ちると、ガードレールをくぐり抜けて崖下に消えていった。
「お気に入りだったのに……」
遥かな下界を覗き見ながら千影は恨めしげに呟いた。
それでも、携帯そのものを落とすことに比べればマシというものだ。たとえそれが、妹に泣いてせびられたマスコットだとしても。あれを死守するのにはかなり苦労した。何しろ、似たようなものを探し求めるために一週間も費やしたのだ。どこにでもあるプラスチック製の安物なのだが、なまじ特徴が薄いだけに特定して探せなかったのだ。千影の思い入れは半端でない。
頭を振って気を取り直すと、二つ折りの本体をカチリと開いた。
液晶画面の時計は、バスの終点から歩き出してより三十分しか進んでいなかった。小一時間は歩いたと思い込んでいた千影はがっくりとうなだれる。迎えに行くという彼女の申し出をこちらから断ったのだから、まさに自業自得もいいところだ。妙な見栄を張った自分が悪い。千影は今さらのように後悔した。
とはいえ、向こうが忙しいのを知っていながらに迷惑を掛けるというのも面白くはない。彼女には公私両面で厄介になっている。ただでさえ亞里亞の世話でてんてこ舞いな彼女なのだから、やはり姉としては多少なりとも気を遣っておきたい。
川風が不意に吹き上げた。その冷たさに千影はガタガタと身を震わせる。
しばらく休んでいたせいで、蓄えられていたはずの体温はすっかり逃げていた。冷えた体を動かしてまた歩かねばならないのかと思うと、気が滅入って仕方がない。
千影はある決心をもって電話を掛けた。が、どういうわけか一向に繋がらない。怪しみながら画面を見た千影は思わず頭を抱えた。画面左上に『圏外』の二文字が浮かび上がっていたのだ。
千影はよろよろと立ち上がり、トランクを手に再び歩き出した。
*
三十分後。亞里亞の屋敷の勝手口に、絶え間無く白い息を吐き続ける千影の姿があった。
元は療養所だった建物を転用しているだけに、敷地に入ってからもかなり歩かされた。木立を透かしてちらちら見えるのは木造白塗りの三階建て。サナトリウム文学にでも出てきそうな建物だ。
正面の玄関には自動車を乗り付けるためのスロープがあった。『世界の豪邸拝見』とか、そんなタイトルの番組で見られるような感じだ。さすがにここから入るのにはある種の勇気がいる。そして、千影にその勇気はなかった。
千影は深呼吸しながら呼び鈴を押した。五秒、十秒。何の反応も無い。それからさらに二十秒を数え、もう一度押そうと手を伸ばしたタイミングでようやく扉が開いた。
「はい、どちらさまでしょうか」
言いながら扉を開けたのは小柄な老家政婦だった。千影を見上げた顔がみるみると驚きに変わっていく。
「まあ、まあまあまあ、千影お嬢さま。こんなところからおいでにならずとも」
「その、お嬢さまと呼ぶのはやめてほしいな。私はそんな柄じゃないよ」
歩き通しで頬が上気しているので、どれだけ恥ずかしくともこれ以上は赤くならない。千影は少しだけ救われた気分になった。
「まあまあ、何をおっしゃいますやら。亞里亞お嬢さまのお姉さまなんですから千影お嬢さまとお呼びする以外にありませんですよ」と、一気にまくしたてる。「まあ、大変。お嬢さまを立たせたままだなんて。さあさあ、中にお入りください。今じいやさんを呼んできますからね」
千影に口を挟ませる暇を与えずに、まあさん――『まあ』が口癖なので、亞里亞にそう呼ばれている――は奥に続く廊下へパタパタと駆け出していった。
千影は一人その場に残され、手持ち無沙汰気味に辺りを見回した。
勝手口とはいっても、かつては外来患者の待合室ということもあって無駄に広い。二階は吹き抜けで、片方の壁には一面に扉が並んでいる。まるでマカロニウェスタンだな、と千影はふと思った。
その中の一つが開いたかと思うと、見覚えのあるコック帽がひょっこりと姿を表わした。
「おや、これはこれは千影お嬢さま。また一段とお綺麗になられまして」
鶴のように痩せた老シェフが帽子を取って一礼し、足早に階段を降りる。先のまあさんの夫だ。体も細いが顔も瓜のように細長い。おかげでまあさんと並ぶと見事な凸凹になる。もっとも性格はよく似ているのだが。
「いや、だから、お嬢さまと呼ばれるのは困る」
仏頂面の千影を前にしてもその調子は変わることがない。
「おやおや、何をおっしゃいますやら。千影お嬢さまは千影お嬢さまですよ」
うやうやしげに歩み寄りながら、生やしたちょび髭を指先で撫でつける。そして、手のひらにぽんともう片方の手を打ち付けた。
「おや、そうでした。こんなお寒い中を来られたのですから暖かいものを用意しませんとな」シェフは急にそわそわとし、「どうか今しばらく、そのままでお待ちください。ただいますぐにお持ちいたしますので」
千影の返事も待たず、シェフは並んだ扉の一つへと消えていった。
またも千影は一人取り残され、壁際のベンチへ腰を下ろした。体はまだ熱い。できれば冷たい飲み物のほうがよかったのだが、今から呼んでも間に合うものだろうか。かといって気遣いを無にするのもそれはそれで気が引ける。表向きには何の繋がりもない自分を『お嬢さま』と呼んで憚らない。そんな人たちの想いに少しでも報いるためにも、ここは黙って奉仕を受けるべきなのだろう。
「千影さま!」
廊下の奥から若い女性の声がこだました。
「何もこんなところからおいでにならずとも。私はてっきり、正面の玄関からお越しになるものとばかり」
小走りにじいやが駆け寄ってくる。彼女のせわしなさはいつものことだ。だが、今は普段と違う。
「あの、じいやさん。その格好は?」
じいやはいつものメイド服ではなく濃紺のパンツスーツ姿だった。ロングの髪はうなじの後で一つに括り、顔には細めの黒縁メガネ。ちょっとしたキャリアウーマンには見える。
「ああ、これですか。すみません、今ちょっと出入りの業者さんと打ち合わせをしておりまして。こういう格好をしていないと、いつものメイド服ではどうしても甘く見られてしまうんですよ」
胸元を押さえながらじいやは息を整えた。よほどに急いでいたものらしい。
「相変わらず忙しいんだね。やはり、私は正面から入ったほうがよかったのかな」
「いえ、そんな。千影さまは千影さまのなさりたいようにされればいいのです。私ごときに気を遣わずとも」と、じいやは千影に手を伸ばす。「さあ、お荷物をお持ちします」
「いや、これぐらいは自分で持つさ。お呼ばれされたのは私だからね。これぐらいはやらせてもらわないと居心地が悪い」
先手を打ってトランクを持ち上げる千影に、じいやは苦笑しながら「そんなお気を遣わずとも」と呟いた。
「あ、千影さま。今のうちに領収書をお出しくださいね」
「領収書とは、何の?」
不審げに問う千影に、怪訝な表情を浮かべたじいやが問い返した。
「タクシーに乗って来られたのでは?」
「いや、それは……」
千影はなぜかどきまぎして言う。悪いことをしたわけではないのだが、何となく気まずいのだ。衛のような運動好きでもなければ、鈴凛のような倹約好きでもない。そんな自分が一時間近くも徒歩に費やしたとなると少し不審に思われてもおかしくない。確信犯ならともかく、自分でも少し後悔しているだけになおさらバツが悪いのだ。
「まさか、歩きで?」
千影は黙って頷いた。それを見たじいやが大きなため息をつく。
「まったく、こんなことでしたら強引にでもお迎えに向うべきでしたわ」
「……これ以上あなたに迷惑を掛けたくない。亞里亞くんに会わせてくれるだけで私は十分なんだ」
「千影さま」深いため息がそれに続く。「どうかそれ以上はおっしゃらないでください。私の力が及ばないばかりにご迷惑をお掛けしているのは私のほうです。亞里亞さまの実の姉でありながらご一緒に暮らしていただくこともできず――」
「そんなに謝らないでくれ。あなたの難しい立場は私も知っているつもりだ。だからこそ、あなたの負担にはなりたくない」
じいやは腰に手を当て、大きく息を吐き出した。
「でしたらもう少し子供らしくなさってください。老成した子供のお守りなんて私はごめんです」
「子供でいられるのもあと半月なんだが……」
千影は弱々しく抗議した。
「もうすぐ二十歳の誕生日だ。その後でも子供でいろと?」
「揚げ足取りはおやめください、千影さま!」
じいやは目を三角にして声を荒げた。叱り慣れしているだけあってさすがに迫力がある。千影は自分でも気付かぬうちに身をのけぞらせていた。
扉の開く音に振り返ると、シェフが顔だけを出してこちらを見ていた。が、千影たちの視線に気付くと即座に引っ込んだ。
小さく咳払いをしたじいやは、
「とにかく、変に気を回すのはおやめください。千影さまや亞里亞さまのお世話をするのが私の役目なのですから」
と、じいやは頑ななまでに千影を拒む。ふと『小さな親切、余計なお世話』というフレーズが頭をよぎった。
「悪かったよ。ただ、忙しそうなあなたを見ているとどうしても気が引けてしまって。今、メイドはじいやさん一人なのだろう? 補充もままならない、とは他ならぬあなたからのメールにあった」
千影とじいやの間では頻繁にメールのやり取りをしている。最初はお互いに知らないことばかりで会話も弾んだが、双方ともに変化の少ない生活ということもあって次第に停滞を始めた。今では、じいやの愚痴めいた文面に千影が相槌を打つという格好になっている。
ちなみに今一番の話題は亞里亞の進学についてだ。中学の勉強についていけるのか、クラスメイトにいじめられたりはしないか、授業中トイレに行きたくとも恥ずかしくて手を上げられないのではないだろうか、などなど。じいやの心配はもっともだが、ここまでくると過保護以外の何物でもない。ただでさえ特殊な環境だというのに。
「それとこれとは話が別です、千影さま」
じいやは人差し指でメガネを押し上げた。
「よろしいですか、千影さま。くどいようですが、これ以上私を困らせないでくださいまし。……お返事は?」
女教師を思わせる厳格さでじいやが突き付ける。千影は「はい」と返事するより他なかった。
「でも、誤解しないでくださいね」
ふっと表情を緩めたじいやが優しげに言う。
「千影さまの気遣いはとても嬉しいのです。ですが今は、千影さまのご好意においそれと甘えることができないのです」
「それはどういう――」
差し出されたじいやの手が千影の言葉を遮った。
「後でお話しますので、今は」
「……なるほど。ただのお泊りではないというわけか」
千影は促されるまま、トランクをじいやに預けた。
床板を踏み鳴らしながらしばらく歩くと、廊下はやがて石張りに変わる。
かつて療養所だったこの屋敷は、外来棟、入院棟、手術棟の三つに分かれている。
今までいたのが外来棟で、現在は住み込みで働く老夫婦の居室と厨房として使われている。これから向う先が入院棟で、クラシカルな内装もそのままに母屋の役割を課せられている。亞里亞の部屋を始め、この屋敷の機能のほとんどがここに集約される格好だ。それからさらに奥へ位置する手術棟は書庫になっており、今まではほとんど忘れ去られたも同然だ。かくれんぼの際にかろうじて思い出される程度だろうか。
石張りの渡り廊下からは冷気がじわりじわりと這い登ってくる。汗でぴったりと貼り付いたブラウスの上を寒気が駆け上がった。
千影は半ばぼやくように、
「相変わらず寒いね、この廊下は。じいやさんは大丈夫なのかい?」
「ええ、まあ、寒いと言えば寒いですが、慣れてしまえばこんなものですよ。それに、私は千影さまほど寒がりではありませんからね」
半歩前を行くじいやが悪戯っぽい笑みを浮かべる。千影は不機嫌そうに小さく鼻を鳴らし、軽くいなした。
「しかし、最近はこれのおかげで随分と楽になっている。亞里亞くんには改めてお礼を言わないとな」
コートの襟口からマフラーを取り出して見せる千影に、じいやが足を止めながら振り返った。
「そのマフラーは……」じいやは驚きの表情でおずおずと手を伸ばす。「亞里亞さまの手編みの。ですが、このような出来のものをお召しにならずとも」
「そんな言い方はしないで欲しい」
千影の言葉が冷たい空気にぴしりと響く。
「確かに出来は悪いが、あの子が私のためにと手ずから編んでくれたものだ。余人はどうあれ、これは私にとって何物にも変え難い宝物だよ」
眼光鋭くねめつける千影にじいやが頭を下げた。
「申し訳ありません。私がもう少し時間を掛けてお教えしていれば、もっと違う出来になったかと思うと」
彼女の言葉通り、マフラーの編み具合はお世辞にもいいとはいえない。客観的に見れば相当にひどい代物だ。最初は揃っていた編み目も段を重ねるごとに不揃いになってゆき、おしまい近くともなると目の数が合っていない。亞里亞が独自に考え付いた――もしくは『編み出した』――編み方でかろうじて形になっているようなものだ。恐らくはクリスマスに間に合うようにと急いだのだろう。
千影がこれを受け取ったのはちょうど二ヶ月前。皆が揃ったクリスマスパーティでのことだった。恒例となったプレゼント交換とは別に、亞里亞から手渡されたのだ。
いつになく真剣な眼差しで千影の袖を引っ張り、部屋の外へと連れ出す亞里亞。後手に何かを隠し持っているのはすぐにわかったが、それが手編みのマフラーだとは思いもしなかった。
「……姉や、これ」
期待と不安の入り混じった表情で、亞里亞はそっと赤いマフラーを差し出す。
「亞里亞が、一人でつくりました……。姉や、あのね……亞里亞、初めてだから……」
緊張のあまりに声だけではなく、か細い腕までもが小さく震えていた。千影はやんわりと亞里亞の腕を支え、腰を屈めて自らマフラーに巻き取られた。
「――あ」
千影は礼を言おうとするが、うまく声が出ない。受け取った側の千影も、亞里亞と同じぐらいに緊張していたのだ。
何しろ、千影にとってもそれは初めての経験だったのだ。高校のとき、ロッカーに入れられたバレンタインチョコを回収することはあっても、二人きりで面と向かい合ってどうこうという機会はついぞ訪れなかった。無論、ラブレターの類を直接手渡されたこともなく、手渡したこともない。
小説のような、ロマンティックなシチュエーションが嫌いなわけではなかった。憧れはしたものの、自分自身に対する劣等感がそれを許さなかった。赤毛のクォーターで貰われっ子。周囲からは一段も二段も浮かび上がった存在の自分が、人並みに夢を見られるはずがない。思春期の千影はひたすらに己を責め苛む日々だった。
そんな千影を変えたのが他ならぬ亞里亞だった。
誰かを好きになること。そして、誰かに好かれること。その喜びを教えてくれたのは、亞里亞のひたむきな愛情表現だった。口数こそは少ないが、その行動一つ一つに愛情と信頼とが感じられた。手を繋ぐ、膝に乗る、抱き締める、添い寝する。本当に何気ない、文字通りのふれあい。それまでの千影から欠け落ちていたもの。
長らく他人を拒んできた千影には苦痛も大きかったが、得られたものはそれ以上に大きかった。
お礼に代えて抱き締めた腕の中で亞里亞が囁いた言葉は、今でも千影の耳に残っている。
「――さま、千影さま」
ハッと我に帰ると、目の前にはじいやの顔があった。
「な、何だいきなりっ」
千影は反射的に跳びすさる。
「いきなりではありません。何度お呼びしたと思ってるんですか」
と、じいやは唇を尖らせた。
「一応聞くが、何回だ」
「四回です」じいやは即答する。「春歌さまといい勝負ですわ」
「そうか」
照れ隠しに頭を掻きながら千影は続けた。
「受け取った時のことを、ちょっと思い出していてね」
「あらあら、そんなによかったのですか?」
途端にじいやの顔がにやける。
「亞里亞さまから一部始終は教えていただきましたよ。何でも感激のあまりに声が出なかったそうで」
「なっ……そっ、それは……」
千影はかつてないほどに狼狽した。よりにもよってこの人に筒抜けだなんて。こんなことなら口止めをしておけばよかった。
「亞里亞さまもよっぽど嬉しかったのでしょうね。私を相手にこう、千影さまの身振り手振りを再現されて、そして最後には……」
両手を大きく広げたかと思うと、じいやは真っ向から千影を抱き締めた。
成熟した女性の柔らかな感触に千影は思わず硬直する。加えて彼女のうなじから立ち昇る芳香が千影の心を惑わせる。なんという香水かは知らないが、とてもいい匂いだ。どんな銘柄か後で訊いてみよう。これをつけて兄くんに抱きついたら、今の私と同じ気持ちになってくれるだろうか……。
しかし、口には違う言葉を出して、
「わ、私を……からかわないでくれ」
「でも、これで暖まったでしょう?」
身を離しざまにさらりとじいやが言ってのける。「本当に千影さまはシャイなんですから。亞里亞さまのようにとは申しませんが、もう少し図太くてもバチは当たりませんよ」
「よくも抜け抜けと、勝手なことばかり言ってくれる」
千影の物言いも遠慮がない。もっとも、千影のそれは恥じらいを偽装するためのものではあったが。
「――でも、お羨ましいですわ」
じいやの口調がしんみりとしたものになる。
「亞里亞さまにそこまで慕われているなんて、本当にお羨ましい。私などがどれだけ誠心誠意を込めたところで、千影さまには到底かないません。何をして差し上げても疎まれる一方で。やはり、本当のご姉妹が為せる絆なのでしょうね」
「そんなことはないさ。私のほうこそ、じいやさんが羨ましい」
千影の言葉にじいやが怪訝そうな目を向けた。
「だって、亞里亞くんといつも一緒じゃないか。それにひきかえ、私はいつも一人だ。確かに私は、大勢よりも孤独を好む。以前からそうだったし、それは今でも変わらない」
千影はつと、明かり取り用の小窓から外を眺めた。一羽だけで地面をついばむスズメが見える。
「でも、亞里亞くんは特別なんだ。あの子がいないと、とても寂しい。ほんの数年前までは一つ屋根の下で暮らしていたというのに、今は別れ別れだ。あの頃は亞里亞くんを含めた皆の存在が煩わしくて仕方がなかった。兄くんと二人だけで過ごせればと、そればかりを考えていたよ」
寂しげに佇むスズメの隣へもう一羽が舞い降りた。二羽は首を傾げながら囀っていたが、しばらくすると一緒に飛び立った。千影は木立の向こうへ消えていく二羽をひたすら目で追い続ける。
「憧れていた一人暮しも、いざ始めてみると案外に寂しいものだな」
「はい」
じいやも千影に倣って外を見る。
そのとき、千影はある考えを思いついた。
「私の家に、亞里亞くんを住まわせることはできないだろうか」
思いつくまま、ぽつりと漏らした。
「は?」
さも意表を突かれたという風に、じいやが千影の顔をまじまじと見つめた。「意味が、わかりかねますが……」
「私の通う学校と、春から亞里亞くんが通う学校はそれほど離れていない。一駅か二駅か、それぐらいのはずだ。それなら、亞里亞くんをここから通わせるよりも私の家から通わせたほうがいいのではないかと、そう思ってね。家のことなら心配はいらない。何しろ、空き部屋が多くて困っているんだ。私と亞里亞くんとあなたと、三人で暮らす事もできる」
「亞里亞さまと千影さまと私と……」
じいやは半ば呆けたように呟く。
「さすがにこの屋敷にはかなわないが、義父がアトリエ兼用で建てた家だから、それなりの造りにはなっている。名家としての体裁は保てると思う。少なくとも、そこらの借家よりはずっといい」
千影は懸命にじいやの思考を後押しする。咄嗟の思いつきだったが、改めて咀嚼してみると決して悪い案ではない。亞里亞の場合、自宅通いも寮生活もその一長一短が極端すぎる。それに、どちらを選ぶにしても負担が大きいのだ。
その点、一時的に同居するという千影の案はどうしてなかなか理に適っている。姉の住まいに越すのだから身元云々といった問題は発生しないし、何よりも当の亞里亞が喜ぶ。今までの生活レベルを維持する上では広い住居が不可欠なのだが、それも問題がない。
亡くなった義父から千影が譲り受けた家は、街中にあるにもかかわらず結構な広さがある。今再び十三人で暮らすようなことがあったとしても、それに十分耐え得るほどの規模だ。一人で暮らすには何もかもが広大過ぎて、近所の子供たちからは荒れ放題の庭を指して幽霊屋敷呼ばわりされているほどだ。その規模ゆえに相続の際には身ぐるみ剥がされそうになったが、まさかこんな形で役に立つ日が来ようとは。
「どうだろう。決して悪い考えではないと思うのだが」
千影の声が届いているのかいないのか、じいやはあらぬ方を向いて物思いに耽っている。彼女の思索を邪魔しないよう、千影は根気強く待った。
体の火照りが消えようかというそのとき、
「そう、決して悪い考えではありませんね。ですが、今は……」
自らの言葉を噛み締めるかのように、じいやは言葉を切った。「少し、考えさせていただけませんか」
「やはり実現は難しいか」
湿り気味に千影が漏らす。
「いえ、千影さまが挙げられたメリットを全面に押し出せば、本邸を説き伏せるのもそう難しくはないはずです」
「だったら」
どうして、という問いの代わりに千影の口からくしゃみが飛び出た。
「まあ大変。こんなところにいては風邪をひいてしまいますわ。さ、行きましょう」
やや慌てた口調で先を促すじいや。千影は素直に従った。躊躇の原因を問い質すのは後でもいい。
二人はしばらく無言で歩いた。
「――そういえば」
千影の呟きにじいやが顔を向ける。
「亞里亞くんはどうしたんだい。いつもなら、真っ先に駆けてきて私に体当たりするはずなんだが」
じいやは目で廊下の奥を示し、
「ただいま亞里亞さまは歌のレッスン中でして」
耳をすませると、石張りを冷たく叩く足音に混じってピアノの音色が聞こえてくる。
「なるほど、まだ気は抜けないということだね。不意打ちに注意しないと亞里亞くんを受け損ねてしまう」
「申し訳ありません。お止めするようにとは何度も申し上げているのですが」
ため息をつきながらじいやが肩を落とす。
「仕方がないさ。あれは雛子くんの直伝だからね」
二人は苦笑を交し合った。
そのうちに足音が変わった。ようやく本館へ足を踏み入れたのだ。
「千影さま、申し訳ありませんが」
じいやが階段の前で立ち止まる。
「まだ打ち合わせが終わっておりませんので」
「ああ、そうだった。すまない、私の無駄話のせいで」
「いえ、いいんですよ。この屋敷の広さでいくらでも言い訳できますから」
と、メイドにあるまじきことを言ってのけたじいやは、手にしたトランクを千影へ持たせた。
「亞里亞さまの隣の部屋で皆さまがお待ちです。場所はおわかりですよね」
「なるほど、ピアノがあるのはいつもの応接室だったね」
千影は首を縦に振って納得した。
「それでは千影さま、また後ほど」
綺麗にお辞儀をしたじいやは、くるりと踵を返して早足に去っていった。まるでビデオの早回しを見るかのような動きに千影は思わず苦笑いする。口では余裕を見せながらもやはり気にしていたものとみえる。
「それにしても」
と、千影は頬を掻く。
「相変わらずよくわからない人だな……」
千影はじいやがただのメイドではないことを理解している。
この屋敷を実質的に支配しているのは彼女だ。本人曰く『ぎりぎりで二十代』の年齢を考えれば破格以外の何者でもない。いくら人手が足りないからといって、一介のメイドにそこまでの権限を与えるものなのだろうか。
そして何よりも、千影に接する態度が不可解だ。基本的には亞里亞に対してのそれとほぼ同様なのだが、先のように明らかに主従の枠を逸脱した振舞いをすることがある。もっとも、表向きには何の関係もない二人なのだが。
ただ、それを差し引いたにしても、主人の実姉に対して取る態度としてはいささか不適当なものが多い。
その最たるものは休日の過ごし方だ。主家筋の人間をショッピングに連れ出すメイドがどこにいるだろうか。
それも一度や二度のきまぐれではない。今のように忙しくなる前はほぼ二ヶ月に一度のペース。支出を含む主導権は完全にじいやのもので、二人連れ立ってぶらぶらと見て回ったことはあまりない。今にして思えば、どこへ買い物に行くのかはあらかじめ決めてあったのだろう。行き先は千影が敬遠する類の、いわゆるブランドショップばかりだった。そこでもじいやは主導権を握って離さず、まごつく千影の手を引いては試着室に閉じ込め、次々と着替えさせたのだ。
もっとも、千影はそれを嫌がったわけではない。慣れない頃はうんざりとさせられることばかりだったが、次第に場慣れしてゆくうちに少しずつ楽しくなってきたのだ。鏡の中に写るのは自分の知らない自分ばかり。今までファッションセンスが著しく偏っていただけに、どの自分にも驚かされてばかりだった。私にもこんな格好ができる、と。
むしろ、それこそがじいやの狙いだったのかもしれない。母が娘を引き連れ、新たな活躍の場に相応しい衣装を買い与えるときのように。
千影は首を小さく横に振った。
年齢的に母娘はあんまりだ。だが、姉妹なら十分にありえる。『仲のいいご姉妹ですね』と言われたことも多い。
「姉か……」
もしも、自分に姉がいたとしたら彼女のような感じだろうか。
格好よくって優しくって、でも時々怖い、世界にただ一人。自分だけのお姉ちゃん。
「――そんなバカな」
千影の唇から忍び笑いが漏れ出た。
「いくらなんでも、これはあまりにバカバカしいな……」
しかし、いくら口に出してみたところで、彼女に姉としての役割を求めている自分は否定しきれない。そうでもなければ、彼女の態度は到底受け入れられなかったはずだ。
終わりなき思考に捕われながら、千影はようやく階段を登り始めた。
二階から三階へ上がろうとしたその時。
「千影ちゃんをチェ……うわっ!」
頭上から注がれる大声に千影はびくっと足を止めた。
その鼻先を虫眼鏡がかすめ、鈍い音を立てながら階段を転がり落ちた。見上げると、三階の踊り場から四葉が身を乗り出している。
「おおっと! さすがは千影ちゃん、ピンチ脱出デスね」
四葉は手すりに腰掛けたかと思うと、勢いよく床を蹴ってそのまま滑り降りてきた。そのまま千影の脇を抜けると床に落ちた虫眼鏡を拾い上げ、千影に向けてかざした。
「改めて、千影ちゃんをチェキ!」
「チェキなんて言ってる場合じゃない。私を殺す気だったのかい?」
千影は四葉から虫眼鏡をひったくると、柄のほうで彼女の頭を軽く小突いた。
「殺すなんてとんでもないデス。だいいち、千影ちゃんは殺そうとしたって簡単には死なな――」
先ほどより力を込めてもう一度。
「――四葉はこれでも誉めてるつもりデスよぅ」
四葉は頭を抱えて大袈裟に痛がった。
「まったく、そんな誉め方がどこにあるものか」
「あ。千影ちゃん、来たんだ」
上から聞こえる声に二人は同時に顔を向けた。
「鈴凛ちゃん、千影ちゃんってばヒドいんデスよ。四葉のこと二回もぶったデス。鈴凛ちゃんにだってそんなにぶたれたことないのに」
「どうせまたロクでもないことしたんでしょ。さっきだってじいやさんに怒られてたじゃない」
そう言いながら、鈴凛も四葉と同様に手すりを滑り降りる。
「でもぉ、それとこれとは話が別デス」
「それで、四葉ちゃんに何されたの?」
鈴凛は四葉を無視して千影に話を振った。
「ちょっと虫眼鏡を、ね」
千影は視線で階上を示す。鈴凛は呆れた表情で四葉を見た。
「ああ、そりゃアンタが悪い」
「そんなぁ、鈴凛ちゃんまで」
おもちゃ屋の前で駄々をこねる子供のように四葉は足を踏み鳴らした。「そんなこと言われてもこれはほんのちょっとしたアクデントなのデス。こんなので怒るなんて二人とも大人げないデスよ」
千影と鈴凛は互いに顔を見合わせ、目配せでやり取りをする。時間にしておよそ二秒。確認に小さく頷きあった。
だが、四葉のほうがわずかに早く、気付いた時には踊り場に姿があった。舌を出して『あかんべ』をしたかと思うと、そのまま階段を駆け上がっていった。
「ホント、相変わらず子供なんだから……」
鈴凛はやれやれとばかりに頭を掻いた。
「で、きみはどちらの役だったのかな」
「デコピンするほう。千影ちゃんは?」
「羽交い締めするほうだ」
二人は共に頷いて、ハイタッチを交わす。
「即席コンビにしてはうまくいったと思うが」
「んー、決断がもう少し早ければね」
いつ頃から始まったかのは定かでないが、四葉の行き過ぎた『チェキ』に対してデコピンで応酬するという決まりができていた。いわゆる『お約束』というやつだ。
踊り場を見上げていた鈴凛が不意にがっくりと頭を垂れる。
「ごめん。千影ちゃんとの電話、盗み聞きされてたみたいでさ。どうしても一緒に行くって言って暴れるから、それで面倒臭くなっちゃって。……ああ見えても結構侮れないのよね」
「まあ、何となくは予想してたさ。四葉くんのきみへの執心ぶりは相当なものだからね」
「お互い大変よね。千影ちゃんのほうこそ亞里亞ちゃんにすごく慕われてるし」
「そうだね」
千影はゆるく笑った。本当に執着しているのは、むしろ自分のほうかもしれないのだが。
「それにしても、来るのがちょっと遅かったんじゃない。すっかり待ちくたびれちゃったよ」
「すまない。徒歩で来たからね」
「徒歩ぉ?」鈴凛が素っ頓狂な声をあげる。「遠足でもないのによくそれだけ歩くと思って。普通、タクシーとか呼ばない? そんなトランク下げてさ」
トランクを持ち上げ、鈴凛は顔を顰める。
「ああ、それはじいやさんにも言われたな」
千影はしれっと受け流した。
「忙しいじいやさんをこれ以上働かせるのは気が引けるからね。自分でできることは自分でやるべきだ」
「……それ、もしかして当て付けだったりする?」
「いやいや、そんなまさか」
と、鈴凛の肩に手を置く千影。その顔にはうっすらとした笑みが貼り付いている。
「な、なによぅ……」
対照的に鈴凛は渋い顔をつくる。それを見た千影は『冗談だよ』という風に肩をポンポンと叩いた。
「あの人はメイドだからね。私たちがどうあろうと、やるべきことはやってしまうのだろうし」
「うーん、そうよね。何でもかんでも世話されるのに慣れてないから変に気をつかっちゃって、逆にじいやさんの負担を増やしてるのかも」
鈴凛は腕組みをした。
「ねえ」急に鈴凛の声が小さくなる。「今日のじいやさんって、少しやつれて見えない?」
「そうか?」
記憶を手繰り寄せてじいやの顔を思い浮かべるが、特に異常を感じたところはない。強いて挙げるなら先の抱擁だろうか。今日はいつもより馴れ馴れしく感じる。その程度だ。
「例えばどのあたりが」
とりあえず、千影は先を促した。
「はっきりとわかったのは目の下かな。うっすらと隈が浮いて見えた」
「ああ、それは」千影は即答する。「以前からだ。この頃は寝不足が続いているらしいね」
「へぇー、そうなんだ」
少しつまらなそうに、鈴凛が頭の後ろで手を組む。
「だけど、それって変だと思わない? ただでさえ睡眠不足で疲れているのにアタシたちを呼ぶって」
鈴凛の言葉に千影が頷く。
「恐らくは、今日私たちを招いたことと何か関係があるのだろうね」
千影は彼女との会話を思い出していた。ひどく思わせぶりな言い方といい態度といい、何か明確な目的があって呼んだのは間違いない。第一、彼女の為すことに無駄は少ない。何らかの狙いがあるとみて間違いはなさそうだ。
「アタシと千影ちゃんだけを呼んだんだよね、じいやさんは」
「いや。本来は私だけで、私がきみに声を掛けた。もちろん、じいやさんに断りを入れてね」
「ふぅん、そっか。やっぱりね」
鈴凛が頭をぼりぼりと掻く。
「あの人がアタシたちに何を押し付けようとしてるのかわからないけど、これはかなり厄介なことになりそうね」
千影は鈴凛を横目に見ながら、
「そう思って私はきみを呼んだんだよ」
「ははーっ。ご期待に添えるよう、精一杯努力いたしますです」
わざとおどけて、鈴凛は一礼してみせた。
「ややっ、まだこんなところでお話してたデスか」
不意に頭上から四葉の声が降ってくる。上を向くと、手すりから四葉の顔がにゅっと突き出た。
「お部屋で待っても全然来ないから退屈してたデスよ」
と、四葉は頬を膨らませる。だが、鈴凛は平然としたものだ。
「あらそう。こっちは誰かさんに邪魔されずに情報交換できたから、とっても有意義なひとときが過ごせちゃいました」
鈴凛は人差し指を左右に振って舌を鳴らす。
「んもう、そんなにツレナイこと言わないでクダサイ。あ、だったら、四葉がキッチンへチェキしに行った時の情報とチェンジするデスよ」
「聞きたくないって言っても勝手に話し出すんだから話してもいいわよ」
ぶっきらぼうに言いながら、鈴凛は壁にもたれかかる。
傍から見ていて実に殺伐とした鈴凛の受け答えだが、これで二人の関係が上手く行っているのだから不思議なものだ。その点で千影は鈴凛を羨ましく感じた。亞里亞を相手すると、ほんの些細なやり取りでも言葉を選ぶ必要がある。自分に都合の悪い箇所を無意識に聞き逃すあたりは四葉と同じなのだが。
「んー、何だかビミョウに悪口言われているような……」
四葉は手すりから身を乗り出して天井べりに視線を沿わせていたが、やがてこちらに向き直り、
「あ、そんなことよりも大変なのデス。四葉のメンミツな聞き込み調査の結果、なんと、ディナーの準備は四人分しか用意されてなかったのデス! ということはつまり、四葉と鈴凛ちゃんと千影ちゃんと亞里亞ちゃんの分しかないのデスよ」
両手をバッと広げてアピールする四葉を鈴凛が冷やかに見つめた。
その傍らで佇む千影は、二人の会話がほとんど耳に入っていない。今にも落ちそうな四葉が気になって仕方ないのだ。
「――で、情報っていうのはそれだけ?」
鈴凛はやれやれとばかりに首を横へ振った。
「いや、だからあの、四人分しかないんデスよ? まだ他に誰かが来たら、その子はディナーが抜きになってしまいマス」
「アンタさぁ、アタシたちが今日ここへ何しに来たか知ってるの?」
鈴凛の問いに四葉はきょとんとした表情を見せる。
「何って、その……今夜はみんなでお泊り……デス、よね……?」
ようやく自分の早とちりに気付いたのか、恐る恐ると切り出した。
「今日ここへ呼ばれたのは私だけだ。本来はね」
四葉を見上げた千影が真実を伝えた。
「そゆこと。で、アタシは千影ちゃんに誘われたってわけ」
鈴凛が千影の後を継ぐ。
「それじゃ、四葉は何なの?」
四葉が鈴凛に問いただした。
「おじゃま虫」
鈴凛が残酷な笑顔で告げた。
ずるずると引きずる音と共に四葉の顔が引っ込む。
「あ、あんまりデス。四葉にはゴッドもブッダもないのデスね……」
階段じゅうに四葉の声が恨めしく響いた。
「それはいくら何でも言いすぎじゃないのか」
千影は上を向いたままで隣に訊いた。
「そう? いつもこれぐらいだけど」
「――まるで漫才だな」
率直な千影の感想に鈴凛は肩を竦める。そして、頭上の四葉目掛けて、
「でもよかったじゃない。四人分の準備ってことは、四葉ちゃんの分もあるってことでしょ」
「そういう問題じゃないのデス!」
四葉は再び顔を突き出し、昂然と反論した。
「四葉は四葉がジャマ者にされたことが許せないの! なぜなら、鈴凛ちゃんの行くところには四葉もいっしょに行くと決めたのデス」
「そんなこと勝手に決めないでよ。それじゃ、アタシに自由なんてないじゃない」
「それとこれとは話が別デス。四葉は、鈴凛ちゃんが四葉に対して隠し事をしてたという事実が許せないの」
「アタシがいつ隠したっていうの? アンタが盗み聴きしてただけでしょ」
千影はだんだんといたたまれなくなってきた。ケンカするほど仲がいいとはよく言うが、それにも限度というものがある。
千影が手をこまねいて見ているうちに、二人のボルテージはどんどん高まってゆく。
「だったら、どうして四葉をここに連れてきたデスか?」
「アンタが連れてけってぎゃあぎゃあ騒ぐからでしょ」
「四葉はそんなに騒いでないデス。鈴凛ちゃんがどこに行くのか、それだけがわかればよかったの」
「それなら普通に訊けばいいじゃない。トイレにまでついて来られたらそりゃアタシだって怒るわよ」
「それは鈴凛ちゃんが素直に教えてくれなかったからデス。カレンダーにお泊りのマーク書き込んだだけじゃ不安になりマス」
「別に今回が初めてってわけじゃないでしょ。前にもあったじゃない。可憐ちゃんのお家に泊まりに行ったときとか」
「じゃあ、どうして今日のお泊りは四葉に教えてくれなかったデスか? いつもはちゃんと教えてくれてたのに」
「それは――」
鈴凛が初めて言い澱んだ。助けを求めるかのように横目でちらちらと千影を見る。
その動きに気付かない四葉ではない。
「おしゃべりが止まるなんてやっぱりアヤシイのデス。さあ、どうして四葉に教えてくれなかったデスか? なぜ、鈴凛ちゃんと千影ちゃんだけなのデスか?」
「それは――」
千影が口を開こうとした、まさにそのとき。
「それは私がご説明いたします」
背後からの声に千影と鈴凛が振り向くと、そこにはいつものメイド服に着替えたじいやの姿があった。
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