〜 花穂の場合(4) 〜
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紙を裂くような細かなアイドリング音は、二階の廊下に潜んでいる花穂の耳にもなかなか鬱陶しい。
窓からそっと顔を覗かせて様子を窺うと、コンクリートの土間――鈴凛のラボはこの屋敷の元機械室で、車が横付けできるように舗装されているのだ――でたむろしている鈴凛と四葉の姿が目に入った。それぞれ赤と黄色のつなぎを着た二人はママチャリのような乗り物を弄り回していて、ハンドル部分をねじるとそのつど爆音と共に黒煙を吐き出させている。
「ねぇ、鈴凛ちゃん。このうるさい音はなんとかならないデスか?」
「ならないに決まってるじゃないの。そうでなきゃ『ケッタタマシーン』って名付けた意味がないでしょ」
反論しざまに鈴凛がハンドルを一ひねり。今度は甲高い音と共にチェーン部分から火花が飛び散り、ついでに四葉も「あうちっ!」と飛び退った。
「ね、ねぇ、鈴凛ちゃん。こんなのやっぱり危ないデスよ。いくら兄チャマの頼みでも、こんなの使うなんてデンジャラスすぎマス」
「なーにバカなこと言ってるのよ。だからチャンスじゃない。アニキが土下座をしてまでアタシたちにお願いしたってことは、もし何かあったら責任取るって意味なんだし。これを逃したら今度いつテストするっていうの?」
と、鈴凛は平然としたものだ。
「それはそうデスけど、でも、逃げたミカエルを捕まえるのにわざわざチェイスするなんてあんまりクレバーじゃないデスよ。前みたいにソックスフィッシングすればすぐに捕まえられるのに」
「あっそ。怖かったら付いて来なくていいよ。別にアタシ一人でも十分だから」
「そ、そんなのダメ!」
サドルへ跨ろうとする鈴凛の腰に四葉が取りすがる。いつもと正反対の役回りがおかしくて、花穂は引き続き観察を続ける。四葉の部屋へ忍び込むなら今が絶好のチャンスなのだが。
「んもう、四葉を置いていくなんてそんなのよくないデス。四葉と鈴凛ちゃんは一心同体少女隊なのデスから、こういうチェーキ&デストロイのときは必ずツーマンセルで動かないといけマセン」
「だったらなおさらこのケッタタマシーンが必要じゃない。フレームは自転車そのままでも人力とは比べ物にならないんだから、二人乗ってもミカエルの足に追い付けるはずよ」
「でもぉ……」
「ああ、もう。じれったいわねぇ。一体これの何が気に食わないのよ。まさかネーミングじゃないでしょうね?」
すると四葉は、鈴凛の顔とケッタタマシーンとを交互に見比べてから、俯き加減になってわずかに唇を動かした。
「……ソー」
「聞こえないわよ。もう一回」
「チェ、チェーンソー!」
「……へぇぇ、そうなんだ。ふぅん、そっかー。なるほどねーぇ」
やけくそ気味に叫んだ四葉とは反対に、鈴凛はにやにや笑いを張り付かせながら四葉を上から下まで眺め回す。
「チェーンソーが怖いなんて、なかなかお子チャマなところがあるじゃない?」
「り、鈴凛ちゃんはジェイソンのオソロシサがちっともわかってないからそんなことが言えるのデス! チェーンソーがひとたびヤツの手に渡るとギュイィィンでズビャァァのスプラッタァァになってしまって鈴凛ちゃんがバラバラァァに!」
「あのねぇ、他人を勝手にミートくんにしないでくれる? 確かにチェーンソー使ってるけど、このケッタタマシーンの動力として使ってるだけなんだから」
「鈴凛ちゃんはそう言いますケド、チェーンソーって危ないんじゃないデスか?」
「なんで? 危なくないよ」
「ホントに安全なのデスか?」
「もちろん安全だよ」
「なんで? だって、最初からベスパとかにしてしまえばいいんでしょ?」
「違うよ。全然違うよ」
「でも、刃物なんでしょ?」
「全然違うよ。全く関係ないよ」
「うー。じゃあ、ケッタタマシーンと普通のバイシクルとの違いは何デスか?」
「じゃあ、簡単に説明してあげる。まず、バイクは免許がいります。お役所の管理システムで資格があるかどうか、記録したり、チェックしたりするの。そういう風に規制されているからバイクは所詮バイクなんだ。で、アタシは無免許。捕まっちゃいます。でも、ケッタタマシーンは免許がいらないの。チェーンソーを使うのに免許がいらないから、動力にチェーンソーを使ったこれには無免許で乗れるんだよ」
「……うーん」
花穂は我知らず、眼下の四葉とシンクロして腕組みをしていた。正しいようでいて何かが違う。ただひとつハッキリしている点は、これを機会に鈴凛がストレスを発散させようとしていることだ。そういえば鈴凛ちゃんっていっつも四葉ちゃんに振り回されてるもんね、と花穂は自分を棚上げしてひとり納得した。
「さ、能書きはこの辺にして行くならさっさと行くわよ。急がないと日が暮れちゃうんだから」
サドルへ跨った鈴凛はアクセルをねじって空ぶかしさせると、金庫のダイヤルを回す要領でペダルをがちゃがちゃと前後に踏み込んだ。
「よーっし。ギアチェンジOK」
「あぁん、ちょっと待ってクダサーイ!」
四葉が荷台の上へ飛び乗った途端、その反動で自転車スタンドが外れる。ロケットスタートを切った二人と一台は門の前でほぼ直角に曲がり、アスファルトをタイヤで切り付けながら夕闇の迫る中を飛び出して行った。
「……いいのかなぁ。四葉ちゃん、荷台に立ったままだけど」
花穂は二階まで立ち昇った煙に軽く咳き込みながら、コンクリートにくっきりと残ったタイヤ痕を見下ろした。現場の周辺ではいち早く飛び出てきた春歌が杓子で水を撒いている。傍らに薙刀と弓矢が立て掛けられているところを見ると、元は侵入者と勘違いして撃退に出たものらしい。春歌ちゃんも意外とドジだもんね、と花穂は自分を棚に上げて呟いた。いつだったかは、この辺の道に不慣れで家の周りをぐるぐる回っていた新顔の宅配ドライバーに無警告で矢を撃ったことすらもあったのだ。それ以来、各運送会社ともドライバーが交代する際には必ず新旧そろって顔合わせに来るようになったのだが、それに比べれば花穂のドジなど大したことはない。何かドジをする度に、自分へそう言い聞かせている花穂だった。
窓の下では、たすきを掛け終えた春歌がデッキブラシで素振りを始めているところだった。大上段に構えてから縦へ一直線に。続いてバトンの要領で腰の周りを二回転させると、斜めに斬り下ろしてから返しの一閃。あまりの迫力に、見えないはずの相手が見えるようだ。
「……別にいいよね。ヘルメットかぶってないけど」
春歌のターゲットがミカエルからあの二人へ移ったのを確認すると、花穂は窓辺を離れて当初の目的地――四葉の部屋へと忍び歩きを開始した。
階下で忙しく往復する足音を耳にするにつれ、やっぱり衛ちゃんの言ってたのって本当なのかも、と当初の困惑が確信へと変化してゆく。お互いのほくろの位置を全て言える間柄とはいえ、大好きなお兄ちゃまが足フェチの変態さんなどと告げられて、果たして誰が信じるだろうか。
だが、兄が鞠絵を含めた全員にミカエル探しを頼んだり、他ならぬ兄の頼みだというのに比較的しらけムードな姉妹たちを見ているとやはり信じないわけにはいかない。張り切っているのは(衛曰く、まだ被害を受けていないらしい)可憐ぐらいなもので、当の鞠絵はもちろん、鈴凛と四葉もさっきの通り。千影と亞里亞に至っては「ミカエルは意外と狭い場所が好きだからね」と言いながら本棚の整頓を始める始末。要するに彼の目論見など全てお見通しというわけだ。
しかし、今の今まで何も知らなかった花穂にしてみれば、どうして自分だけがという思いがある。それも、衛と一緒だったならともかく、当の衛が隠し事をしていた。衛の言葉によれば「花穂ちゃんを巻き込みたくなかった」らしいが、お兄ちゃまにあんなことやこんなことをされるより、仲間ハズレにされるほうがずっと辛いのだ。
一通り教えてくれた後はもう何も言うつもりはなかったらしく、衛は「ヘンなこと考えたらダメだよ」とだけ言い残してミカエル探しのふりを兼ねたサイクリングに行ってしまったが、もちろんその忠告に素直に従う花穂ではない。今までずっと隠し事をしていた衛への反発心もあるが、それ以上に気になる点がひとつあった。
――足を出すだけでお兄ちゃまが寄ってきてくれるかもしれないのに、みんなはお兄ちゃまの足フェチの何がそんなにイヤなのかな?
咲耶ちゃんのようにキレイでもない、春歌ちゃんのようにヤマトナデシコでもない、千影ちゃんのようにクールでもない、そして、衛ちゃんのように頑張りやさんでもない。ただのドジっ子の花穂がお兄ちゃまを引きつけられるとしたら、きっとそれはチアぐらいしかない。
他の姉妹たちはいざ知らず、花穂にしてみれば『お兄ちゃまを花穂のものにできるチャンス』の一つに過ぎない。
花穂にとっての兄とは、決して欠かすことのできない存在だ。それはもちろん花穂のみならず、他の姉妹たちにも言えることだ。
だが、それぞれが兄に望むものは違う。可憐なら『かっこよくってやさしいお兄ちゃん』、春歌なら『生涯を掛けるに相応しい背の君』という風に、それぞれの理想が違う。みんなが足フェチを嫌がっているとすれば、原因はきっとそこにあるはず。衛っぽく言うなら「ボクのあにぃはそんなことしないよ」。
もちろん「花穂のお兄ちゃまもそんなヘンなことしない」のだが、現実に目の当たりにしてしまった以上、現実のお兄ちゃまを受け入れるしかない。そこが衛との大きな違いだった。確かに足を舐められるのはイヤだが、代わりにその最中は自分だけのお兄ちゃまでいてくれる。だったら、つま先でも何でもどこでも好きなだけ舐めてくれればいい。それに、チアを見に来てくれたのも足フェチのせいだとしたら、もっと見に来てくれるためにもっともっと足フェチのことを知らなくちゃ。今のお兄ちゃまのことを一番よく知ってるのは……?
そこまで考えてふと四葉に思い当たった。
今思い返せば、衛が必死で止めた時点で怪しむべきだったのだ。四葉はミカエルが相手だと言っていたが、普通は靴下で犬を釣ろうだなんて考えない。その後もタイツやストッキングなど、釣り餌を替えて試していたことからも明らかだ。絶対に間違いない。お兄ちゃまはどんな履き物が好きか、四葉ちゃんならきっと知ってるはず。
四葉の部屋の前に辿り着くと、花穂はドジだから、花穂はドジだから、と口の中で繰り返しながら右、左、右と人影を確かめて中に忍び込む。探偵を名乗っている割に部屋の鍵はいつも空いたままだ。四葉が言うには「木を隠すにはドントウォーリーの中」らしいのだが、それでなくても普段から鈴凛の部屋に入り浸っているのだから、防犯意識がおろそかになってもおかしくない。それに、鈴凛の発明には泥棒に狙われるだけの価値があるが、四葉の情報はそうではない。あくまで今回だけが特別なのだ。
夕暮れで薄暗い部屋の中はアンティーク風の家具で統一されていて、見た目と四葉の性格とのギャップが結構すごい。どこかの社長が座ってそうな机などは、千影のほうがよっぽど似合いそうだ。そんな中、唯一四葉らしいものといえば無造作に脱ぎ捨てられた普段着。
「うん、ここまではカンペキ」
そう、ここまでは予想通りかつ予定通りだ。
四葉の調べた情報は全て探偵手帳に書かれている。その探偵手帳はジャケットか制服の内ポケットに仕舞っている。そして今はそのどちらでもなく、鈴凛とお揃いのつなぎに着替えている。ということはつまり――
「あっ、あった!」
着替えをまさぐる花穂の指先に薄っぺらな何かが触れた。思わず花穂はにやりと会心の笑みを浮かべる。
四葉と鈴凛の予想外な行動(というか暴走)はまさに渡りに船だった。最初は脱衣場へ忍び込もうとさえ考えていたのだ。いくらドジがひどいからといって、他人の脱いだ着替えを間違えて着る人間はいない。これではドジならぬボケだ。困ったときのドジ頼みが通用しないとなると、これはあまりに危険な賭けだ。だったら、以前に実績のある『暗くて自分の部屋と間違えちゃった』のほうが、見つかったときに安全かもしれない――というのが花穂の立てた作戦だった。
他人にはあまり注目されないが、こう見えても花穂は結構頭の回るほうなのだ。
例えばチアの練習方法で先生と先輩の意見が対立したときには、どちらがより正しいのかを考えてから動くようにしている。あの先輩が先生に頭ごなしに叱られている様子は見ものだが、後でそのとばっちりを受けてはスッキリ感以上にモヤッと感が残ってしまう。先輩はさすが先輩なだけあって、自分の間違いには必ず気づいてくれる。それを見越して先生に味方すれば、時には先輩から感謝の言葉さえも。
そんな話を衛に聞かせると決まって「花穂ちゃんって先輩のこと嫌いなんじゃないの?」と不思議そうな顔をするのだが、それは衛ちゃんに取柄があるから言えるんだといつも思う。人と違う武器――特徴があるから真正面から戦えるのであって、そうじゃない普通の人間はだれかの側について味方をするしかない。個性の強すぎる姉たちを見ていると、そう結論づけざるを得ないのだ。
ともあれ、花穂のそんな胸のうちは今のところほとんど気づかれていないし、これからも気づかれないだろう。何しろ花穂はドジの星の下に生まれたのだ。ドジのみならず、間の悪さも天下一品だった。
花穂の背後でいきなり扉が開いたと思うと、
「四葉としたことがドッグホイッスルを忘れるなんてド――」
予想外の登場に花穂は「ぴぇっ!」と間抜けた悲鳴を上げた。春歌ちゃんが玄関で待ち伏せしているから、途中で戻ってきてもすぐわかるはずなのに。
「やややっ、どうして花穂ちゃんが四葉の部屋にいるのデスか?」
それはこっちの台詞だよ、と言いたいのをガマンしながら、とっさの判断で指先の薄っぺらいものをポケットにしまう。そして「花穂、ドジだから」と照れ笑いを浮かべながら振り返った。
「それはもう、四葉の探偵手帳に書ききれないぐらいによーっく知ってマスよ」
「うん、花穂はドジだから四葉ちゃんの部屋にいるけど、四葉ちゃんはどうして戻ってきたの?」
「四葉デスか? 四葉は、ミカエルをコントロールする用のドッグホイッスルを取りにきただけデス。日本語で言うと犬笛デスね」
「ふぅん、そうなんだ。花穂もドジだけど、四葉ちゃんもドジなんだね」
「よ、四葉のはドジなんかじゃないデス! 花穂ちゃんなんかと一緒にしないでクダサイ!」
「そうなの? 花穂はドジだからいつも衛ちゃんに迷惑かけてるけど、今の四葉ちゃんも鈴凛ちゃんに迷惑かけてるよね?」
「ええと、それは……」
「ほらね。だから、今の四葉ちゃんはやっぱりドジなの。花穂も同じぐらいドジだけど」
強引にそう決め付けると、四葉は「うー」と唸りながらしゅんと俯いた。
「認めたくないデスけど、今の四葉はやっぱりドジなのかも……」
「そんなことより、早く戻ってあげないと鈴凛ちゃん怒っちゃうかも」
「おっと、そうデシタ」
パッと顔を上げた四葉はそそくさと机に駆け寄り、レポート用紙や教科書を払い落としながら探し物を始める。
「えーっと、確かこの辺に……あ、あったデス!」
「よかったね、四葉ちゃん。ほら、鈴凛ちゃんが待ってると思うから急いで急いで」
「そうデスね。早く戻って、四葉がドジじゃないことを証明しなくちゃ」
ドタバタと部屋を出て行く様を見送ってほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、再び大慌てで駆け戻ってきた四葉が、
「そういえば、どうして花穂ちゃんが四葉の部屋にいるままなのデスか?」
「えっ? え、ええっとその、花穂、ドジだから――」
「それは知ってマスから、早く出て行ってクダサイ」
しどろもどろな花穂の腕を取って強引に引きずり出した四葉は部屋の戸締りをして、今度こそ廊下を走り去って行った。
「あ、危なかったぁ……」
残された花穂は、ポケットの硬い感触を上から確かめながらどっとため息をつく。四葉が戻ってきたのは予想外だったが、一応ここまでは予定通り。先に手帳を抜き取っておいたのも大正解だった。無くなったと知った四葉が後で大騒ぎするだろうが、その時には拾ったふりでもして返せばいい。
自分の部屋に戻ってしっかりと鍵を掛け「四葉ちゃんの手帳、何が書いてあるのかなぁ」と、高鳴る胸を押さえながら取り出す花穂だったが――
「え? これって……?」
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