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 〜 咲耶の場合(2) 〜


 が、いつまで経ってもそれはやって来ない。
 いい加減に痺れを切らした咲耶は、目隠しを取り除きながら起き上がる。
 真っ先に飛び込んで来たのは兄の横顔。浮かべた恍惚の表情は、まるで夢見ているかのよう。しかし、ため息混じりでうっとりと眺めているその先にあるものは――咲耶のつま先だった。
「……えっ?」
 咲耶は思わず口をぱくぱくさせる。人をここまで期待させておいて肩透かしもいいところだ。もしかして、お兄様なりの照れ隠し? それとも本当に足フェチなの?
 気を取り直して目の前の光景が現実かどうかを確かめようとするが、何度目をこすっても眉に唾つけても兄の頬はだらしなく緩んだまま。咲耶の中で疑惑がむくむくと頭をもたげ始める。まさかやっぱりこの人って……?
「お、お兄様、一体何してるのよっ?!」
 兄は「んっ?」と間抜けた声を出しながら向き直り、きょとんとした顔で咲耶を見た。
「何って、だって、不公平でしょ? 僕の妹なのに、咲耶だけ仲間はずれなんて」
「でも、お兄様……」
「あれ? もしかして、何か違うこと想像してた?」
「うっ……」
 そう言われると返す言葉がない。まさか、よりにもよってあんなことやこんなことを勝手に思い描いていたなんて。
「うーん、僕としては『どうしてみんなにばっかり』ってやきもち焼いて、それで、自分からおねだりしてくれたらなぁって思ってたんだけど」
「バッ、バカじゃないの? そんなので私が妬いたりするわけないじゃない。第一、私が喜ぶと思う? お兄様につま先なんか舐められて」
「嬉しくない?」
「ぜんっぜん!」
「そ、そんなバカな……」
 きっぱりと否定されたのがよほどショックだったらしく、兄は絶望に顔を歪めながらその場にへなへなと崩れ落ちた。と思ったら、バネ仕掛けのように勢い良く起き上がり、
「――なーんてね。びっくりした?」
 と、満面の笑みを浮かべてみせる兄。そして、喜色満面そのままの異常なテンションで喋りまくる。
「ははは、冗談に決まってるじゃないか冗談に。自分から犬のように這いつくばって妹の足をくんくんぺろぺろして喜ぶなんてド変態もいいところだね。いやぁホントに兄の風上にも置けないよまったくもう。僕が咲耶の立場だったら絶望のあまりに死んじゃうかもしれないな、うん。可憐の気持ちもわかるよ。こんなのは可憐のお兄ちゃんじゃありませんって言われてその後、えーっと、何だっけ……あ、あれ? 何だか頭が痛く……」
「お兄様、無理に思い出さなくてもいいから」
「あ……銀色の光が点いたり消えたりしている。はははは、大きい。包丁かなあ。いや、違うなあ。包丁はもっと、スパっと切れるもんな……」
「お兄様、お兄様っ」
 がくがくと兄の身体を揺さぶるが、頭を抱えてすっかり自分の世界へ入ってしまったらしく、咲耶がどれだけ呼び掛けても返事をしない。その後もぶつぶつと独り言を繰り返し続ける。
「あの子ってばやりすぎなのよ……まったくもう、仕方ないんだから」
 咲耶は兄の後ろに回り込むと首筋に腕を回し、背中からぎゅっと抱き締める。そして、胸を押し付けたまま自分の身体を前後左右に動かした。
「お・に・い・さ・ま?」
 その途端、兄の動きがぴたりと止まった。
「……さ、咲耶?」
「他にだれがこんなことすると思う?」
「いや、衛や花穂とは全然、その、感触とか……」
「うん。わかればよろしい」
 すっかり我に返ったのを確認すると、咲耶は名残惜しげに兄から離れ、対面に腰を下ろす。俯き加減の兄の顔は心なしか赤く、咲耶は一度頷いた。いつものシャイなお兄様だ。
「もう、あまりびっくりさせないでよ。お兄様が足フェチってだけでもイヤなのに、その上、可憐ちゃんにトラウマまで植え付けられて」
「……ソ、ソウカナ?」
 また小刻みに震え始めるのを見て、咲耶は慌てて話題を変える。
「それはともかく、さっきのはホントに冗談なのよね?」
「さっき、って?」
「私のつま先、じっと見てたでしょ」
「あぁ……」
 兄は何度もまばたきしながら咲耶の顔を見つめていたが、不意に目を落としておずおずと口を開く。
「実はそのことなんだけどさ……」
 どうも嫌な予感がする。咲耶は一瞬、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「どうせだから続き……やってみない?」
「……はぁっ?」
「いや、その、な、何ていうかさ、後は咲耶一人だけなんだし、このままだと中途半端だから」
「……ねぇ、お兄様? 私、何度も言ったよね? そういうのは嫌いって」
「わ、わかってる。わかってるよ咲耶」
 咲耶の反撃を恐れてか、物理的にすっかり腰が引けている。だが、それでいてなかなかしつこい。
「でもさ、正直言って今の咲耶って……欲求不満だったりしない?」
「……なっ、何を言ってるのよっ?!」
 少なからず図星を突かれ、思わず身を引いてしまう咲耶。その引いた分を穴埋めするように、兄が遠慮がちに距離を詰める。
「ごっ、誤解よお兄様っ。私がそんな春歌ちゃんみたいに一年中そんなことばっかり考えてる子に見えると――」
「咲耶がさっき、何を期待していたのかはわかるよ」
 思ったより静かな声が咲耶の口を閉ざした。
「さっきだけじゃなくて、前からずっと……そうだよね?」
 どう答えていいのかわからなくなり、咲耶は無言で頷いた。そして、兄が呻くように続きの言葉を紡ぎ出す。
「でも、僕たちは兄妹だ。みんなの願いは叶えてあげたい、咲耶の願いも叶えてあげたいけど、それだけはダメなんだ。そのせいで、咲耶がどんなに苦しんでいたとしても。それだけは絶対に」
「お、お兄様……」
 咲耶はいつの間にか姿勢を直し、正座になっていた。
「そして……ね。僕も同じこと考えていたんだ。ずっと前から」
「同じって、まさか……?」
 すると兄は、ふっと寂しげに微笑む。それが答えだった。それで十分だった。
「わかってると思うけど、僕がこんな事言ってたなんて秘密だよ。僕と咲耶の、二人だけの秘密」
 兄は再び咲耶の肩を抱き、押し倒したその足を静かに取った。
「全然、代わりになんかならないと思うけど、でも、せめて、僕の気持ちだけは伝えておきたいんだ」
 あっ、と思ったその時には、兄の唇が足の指をそっと撫でていた。想像していたのとは違い、不愉快さなどは微塵もない。快感や心地よさとはまた違う、奇妙なむず痒さがつま先から全身を駆け巡る。
「お兄様、わ、私……私ぃ……」
 自然と声が潤む。まるで誘っているかのよう。兄の吐息が急に荒くなり、つま先を熱く湿らせる。ごくん、と喉を鳴らす音がした。今度は誰なのかわかった。私じゃない。お兄様だ。
「つま先だけ、だけど……それなりに、満足させてあげられると思うんだ」
「う、ぅん……」
 もうほとんど返事にならない。首をこくこくと動かして許可を与えると兄は背中を丸め、大事そうに抱えたつま先の上へ覆い被さった。
「行くよ、咲耶……」
 ぷっくりと膨らんだ親指が兄の唇に触れる。女の私が、男のお兄様を貫く。ひどく倒錯的な光景。これ以上見ていられなくなり、うつ伏せになって顔を隠した。
 そして、それを見計らったように、つぷん、と親指が沈む。
「んっ、う……っ!」
 生温かいものにぬろぬろと這い回られ、背筋の毛が一斉に逆立つ。だが、不快感はない。その逆だ。愛しい人の一部が私の身体を求めている。
「お、お兄様……おにぃ、さまぁ……っ」
 もう片方の足が勝手に痙攣し、何度も床を引っ掻いて快感を訴え掛ける。すると、それに応えるように兄の舌が執拗さを増し始めた。
「ふぁっ?! あ、あぁぁぁっ!」
 頬が濡れていると思ったら涎だった。いつの間にか垂れ落ちていたそれが、フローリングにささやかな水溜りを作っている。
 ――私ったら、こんなになっちゃうなんて。
 それなりに、どころではなかった。本物はきっとこれ以上なのだろうが、咲耶的には十分だった。他の子たちもこんな風にしてもらったのだろうか。そう考えると、今さらのように妬けてくる。
「お、にぃさまぁっ……も、もっと、もっとしてぇっ」
「ああ……僕も、もっと……」
 捩れた声が返ってきたなり、かちゃかちゃと金属同士の触れる音がした。ハッと身を硬くする咲耶の耳にさらなる物音が――ジッパーの降りる音が届く。
 ――えっ? こ、これってもしかして。
 咲耶の想像力を裏付けるように、獣じみた呻き声が途切れ途切れで聞こえてきた。本能的な恐怖を感じた咲耶は、床に伏せたままじっと兄の仕打ちに耐える。
「あぁ、さ、咲耶……咲耶ぁっ、あぁっ、いっ、いくよ、さ、咲耶の足に、う、うぅぅっ!」
 その途端、熱くどろっとした何かがつま先へ降り注がれた。
「やっ、あ、熱ぅい……っ」
 咲耶は未知の熱さに身悶えしながら、そのまま動けずにいた。次は何をするのだろう。お兄様は、私に何をしてくれるのだろう。
 不安と期待とで、咲耶の心臓は今にも破裂しそうだった。
「ああ、咲耶はかわいいよ、咲耶……」
 つま先に不穏な気配を感じ取り、咲耶は思わず身をすくめる。だが、ひたひたと押し寄せるそれは、粘液まみれのつま先に狙いを定めたらしい。咲耶は焦った。
「ダ、ダメよお兄様っ。そんなの、絶対に変んんっ! ひゃんっ!」
 必死の抵抗もむなしく、粘膜が咲耶のつま先を襲う。しかも、さっきまでとは比べ物にならない荒々しさ。爪の先、指の間、骨と骨の窪み。粘液の滴るあらゆる場所を隈なく蹂躙していく。
「おっ、お兄様ぁ、ダメ、そんなのダメぇ……。そんな、お兄様が、お兄様がそんなことしちゃ、あぁんっ!」
「でも、気持ちいいでしょ?」
「そ、そんなこと聞かないでっ! う、うぅぅぅんっ!」
 それは紛れもない事実だった。否定しようにも否定しきれず、ふるふると首を振りながら涎を撒き散らかす。
「ほらほら、もう片方の足が寂しそうにしてるよ」
「バカぁっ! お、兄様の、変態ぃぃ……っ!」
「その変態に気持ちよくしてもらっている咲耶はもっと変態さんだね」
「……っ!」
 睨み付けようにも、死ぬほど恥ずかしくて顔を上げられない。快感と恥辱に震える咲耶へ、兄がさらなる追い討ちを掛ける。
「よし、それじゃあリクエストにお答えしてさらに追加」
 と、再びつま先へ注がれる液体。今度は先ほどより少し生ぬるく、中途半端な冷たさにびくっと全身がわなないた。
「あっ、やぁ……っ!」
 悶える咲耶にはお構いなしで、試みにつま先を逃がしてみても舌先はしつこくその後を追い掛ける。まるでボールを追うミカエルのように。
「どうだい、咲耶。素直になってみたらどうかな。ずっと舐められ続けるのは気持ちいいだろう?」
 咲耶はその言葉に違和感を覚えた。
 ずっと舐められ続ける。そういえば、お兄様が喋っている間もずっと舐められていた。ということはまさか――
 咲耶は舐めている何かを蹴飛ばし、上半身を捻りながら飛び起きた。
「――なっ、何なのよこれっ?!」
 そこにいたのは他でもない、ミカエルだった。そして、咲耶が勝手に……と思い込んでいたものは溶かしバター。耐熱ガラスの小鉢が足元に落ちている。これでもう十分に把握できた。あとはその元凶を問い詰めねば。
「お兄様? お兄様はどこなの?!」
 部屋を見渡しても兄の姿は見当たらず、いつの間にか開いていた窓ではカーテンがそよいでいた。
 そして、咲耶の見つけたものがもう一つ。
 それは、開いた扉の前で鈴なりになっている妹たちの顔だった。十一人が揃っていて、しかも、全員が一様に頬を赤く染めている。人一倍マイペースな亞里亞でさえも。
「なっ、い、いつからそこに?」
 照れ隠しも兼ねて金切り声で叫ぶと、妹たちが互いに顔を見合わせ、代表で可憐が口を開いた。
「だって、咲耶ちゃんの声、すごく大きかったから……」
 ということは、溶かしバターより後のようだ。あんなことやこんなことは聞かれてない。ひとまず安心する咲耶だが、その後にやって来たものはやり場のない怒りだった。この乙女心をおもちゃにするなんて、絶対に許せない。
「で、お兄様はどこよ?」
「はいはい、わかってるって……で、現在位置は?」
 鈴凛の呼び掛けに、開いた電子手帳をペンで突付きながら四葉が答える。
「えーっと、兄チャマは家の中デスね。デルタからブラボーに向かってる、ちょうど真ん中あたりデス」
「ってことは、あと十秒ぐらいか……」
 鈴凛は懐から何やら取り出し、カウントダウンと共に、自転車のブレーキレバーのようなものを引いた。
「ま、こんなこともあろうかと」
 遠くから兄の悲鳴が聞こえてくる。
「ちょっと、お兄様に何したのよ」
 思わず眉毛を吊り上げる咲耶に対し、鈴凛たちは実に平然としていた。
「ああ、命に別状はないから、うん。その点は大丈夫よ。誰かと違ってね」
「鈴凛ちゃん、それってどういう意味ですか?」
「まあまあ可憐ちゃん、落ち着いて。姫特製のアレがそろそろ効いてくる頃ですの」
「……私のハーブも忘れては困るね」
「とにかく、そろそろ頃合いのようですね……ミカエル!」
 名前を呼ばれ、床を嗅ぎ回っていたミカエルが飼い主の方へ向き直る。すると、親指だけを立てた鞠絵がその手をくるっと逆さにした。
「行ってよし」
 鞠絵の合図を受けたミカエルは、お気楽お座敷犬から瞬時に猟犬へ変貌を遂げていた。妹たちが左右に割れ動いたその隙間をくぐり抜け、矢のような勢いで廊下を駆けていく。
 そしてそれから約十秒後、兄の奇声が家じゅうに響き渡った。
「何? 何なのよこれ?」
「見ればわかる。ついてくるがいい……」
 なぜか半笑いでタオルを渡してくる千影。その視線の先が自分の頬に向けられていることに気付き、パッと奪い取ったそれで涎を拭き取る。
「い、言われなくてもついていくわよ」
 ついでに足を綺麗にすると、咲耶たち姉妹はぞろぞろと連れ立って兄の様子を見に行く。
「ポイントブラボーはここを曲がった先デスよ」
「言われなくてもこの笑い声でわかるでしょ」
 そして、姉妹たちの目に飛び込んで来たのは、ミカエルに足を舐められ続け、けたたましく笑いながら床を転げまわっている兄の姿だった。
「一応、私にもわかるように説明してくれる?」
「もっちろん。で、これが今回のアタシの発明品なんだけど……」
 鈴凛が羊歯状の観葉植物の鉢植えに手を突っ込み、全長20センチほどの人形を二体拾い上げる。全身が緑色のもしゃもしゃに覆われていて変色したムックにも見えるが、ライフル銃を持っているところを見るとどうやら兵士か何からしい。
「自動マーキング装置のマクミラン先輩とプライスくん」
「二人はSASの隊員で、百発百中の凄腕スナイパーなのデス」
「はいはい、今は黙ってて。で、マクミランくんにはビーフジャーキー風味のペイント弾を撃ってもらって」
「姫がミカエルまっしぐらなのを作りましたの」
「んで、プライスくんは発煙筒の担当」
「ちょっとした幻覚作用のあるハーブを粉末にしてね……ふふふ」
「で、それがこの結果?」
 のた打ち回りつつだらしなく頬を緩めてえへらえへらと笑う兄が何を見ているのか、想像したくはないが想像できる。
「大丈夫だ。常習性はない」
「千影、そういう意味で言ってるんじゃなくて」
「これが、可憐のお兄ちゃん……」
 ぽつりと呟く可憐に、兄以外の全員がしんと静まり返った。
 可憐の、いや、皆の嘆きは痛いほどによくわかる。兄と二人きりの秘密ならつま先の一舐めや二舐めぐらいどうということはないのだろうが、こうして公の目に醜態を晒すとなると、今までに感じたことのない気持ちが湧き上がったとしてもおかしくない。
 だが、咲耶は違っていた。
 咲耶にはさっきの兄の言葉がある。
『僕と咲耶の、二人だけの秘密』
 そう、お兄様が足フェチなはずがない。ミカエルを使ったのだって、お兄様なりの冗談に決まってる。きっとそう。絶対にそうに違いない。……そんなことより、あんなに大声が出てたなんて。今度はどこかのホテルでも予約しておかなきゃ。
「一人だけなんて選べないけど、ホントに愛してるのは一人だけだよ、咲耶ぁ!」
 不意に叫んだ兄が、床を這いずりながら足にしがみつく。
「私もよ、お兄、様……?」
 しかし、兄は重大な過ちを犯した。
 実際にしがみついたのは咲耶の隣。よりにもよって、可憐の足だった。
「お、お兄、ちゃん……」
 可憐の顔色がみるみる青ざめていく。これはまずい。可憐は足を抱かれたことよりも、兄に他の子と間違われたことを怒るタイプだ。
「か、可憐ちゃん、ちょっと落ち着いて――」
「可憐は落ち着いてます。それより、どういうことか説明してもらえますか?」
 笑顔だが、もちろん目は笑ってない。
「いや、あの、これはその……」
「どうしたんですか、咲耶ちゃん。可憐に言えないことなんですか?」
 兄をしがみつかせたまま、ゆらりと近づく可憐。絶対絶命のピンチ。
 だが、その時――
「言えるはずありませんよ。ね、咲耶ちゃん?」
 意外な人物が、眼鏡を中指で押し上げながら助け舟を出した。
 危うげな雰囲気を発したまま、可憐が鞠絵の方を向く。にも関わらず、鞠絵はにこにこと穏やかな微笑みを浮かべている。
「どういうことですか? いくら鞠絵ちゃんでも、事と次第によっては許しません」
「そんなに怖い顔をしないで、よく考えてみてください。だって、今の兄上様は本当の兄上様ではありませんから」
 そう言うと、鞠絵は笑顔のままで足元の兄を思い切り蹴りつけた。「あふん」という奇妙な呻きなどもはやどうでもいい。全てが凍り付き、そして、真っ先に反応したのは当然のごとく可憐だった。
「鞠絵ちゃんっ! お兄ちゃんに何てことするんですか!」
 しかし鞠絵は、妹の怒りをいつものようにさらっと受け流す。
「この兄上様は壊れておいでです。そして古今東西、壊れたものを手っ取り早く直す方法といえば……」
 鞠絵に視線を向けられ、鈴凛があたふたと言葉を紡ぎ出す。
「えっと、その、なっ、斜め上45度からの衝撃よ。ほら、古いテレビとか、映りが悪くなった時にガツーンてやるでしょ?」
「イギリスでもチョップしマスよ」
「ド、ドイツも同じですわ」
「フランスは……えっと、フランスは……くすん」
「とっ、とにかく蹴ればいいの蹴れば。ほら、みんなも!」
 咲耶が率先して一発蹴りを入れると、最初は戸惑っていた妹たちも次第に足蹴にし始めた。
「ちょっ、あっ、痛っ! 痛いって、そこ痛いからもうちょっと、ちょ、かっ、顔は止めてせめてボディにぃぃ……!」
 状況の変化に気付いた兄が声を上げるがもう遅い。十二姉妹の、中でも可憐による苛烈な足蹴りの前に、兄の命運は風前の灯火だった。
「お兄ちゃん、今すぐ、可憐が、元に、戻して、あげます、からねっ!」
「可憐ちゃん、いくら何でもやりすぎじゃない?」
「まあ、気の済むまでやらせればいいさ……ん? どうしたんだい、亞里亞くん」
「うふふ……ワインのブドウ踏みみたいで面白いのー」
「それはよかったね。でも、やさしく踏んであげないと、兄くんが種無しブドウになってしまうよ……」


  *


 ――後日。
 兄はリビングへ行き2時間ねむった……。そして……目をさましてから、妹たちが自分に見立てて丸めた布団を嬉々として蹴り飛ばしているのを見て………心の中で泣いた……。





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